2009年フランス旅行記

2009/2/4(水)

〜フランス雑記・遊ぶならパリ、住むならルーアン〜

この表題通りの言葉がフランスにはあるらしく、ルーアンは人気の高いところです。
パリまで電車で1時間ちょっと、日帰りで遊びにいくには丁度よい距離ですね。
昨年レンタカーをルーアンのHERZに返却するのに、この街の中を走り回り、
親切なマダムのおかげで、ようやくの思いでルーアン駅にたどり着きました。
本当はその時、早めにルーアンに到着していれば、ルーアン観光もする予定でした。
でも出来なかったので、今回の旅行で日帰りでルーアンに行ってみることにしました。

 

電車は相変わらず快適。
こういう電車での通勤だったら、さほど通勤も苦にならないでしょうね。
新聞を読んだり数独(ヨーロッパではSUDOKUとして大人気)やったり、
皆さんゆったりと過ごしています。

 

私たちは朝ごはんとして、駅のキオスクみたいな場所で
デニッシュなどを買い込んで乗り込みました。
冬のフランス北部、雪が多く残る光景を眺めながら、
1時間ちょっとの電車を楽しみました。

 

去年来た時迷いに迷って、この駅舎が見えた時は嬉しかったなあ。
ほんと、昨日のことのように思い出します。
思えば私の旅行って、結構すんでのところでセーフという状況が多い。
地理的なことが実感できていなかったとはいえ、
もう少し密に計画を練るべきだったと、毎度反省。
そして同じことを繰り返しているような気がするな。

 

ともあれ、前回は駅舎をゆっくり見て回ることもできなかったので、
今回は一通りぶらぶらしてみました。
高い天井、さりげなく飾られた絵、古風な照明。
やはり日本の駅とは違うなあと感じました。
日本の駅の、お役所的且つ直線的な殺風景さも好きなのですが、
やはりフランスには、こういう駅のほうがあっていると思います。

 

駅から歩いて、街の中心であろう大聖堂の方向へ行きました。
その途中で見た、こんなかわいらしい家。
確か、フランスのどの地方だか忘れましたが、
こういう家を建てる地方があったはずです。
建物の外側を構成する木と漆喰をこのようにきれいに塗り分けて、
メルヘンチックな、可愛らしいお家を作るのです。
以前テレビで見たのでした。でもその場所はルーアンではありませんでした。
ルーアンにも、こんな建築があったのかとびっくり。

 

テレビで見たその街では、殆どのお家がこのような建築で、
そういう家が並んでいるさまは、まるでおとぎの国のようでした。
ルーアンではそこまで多くはありませんが、
ほぼ一か所に固まって、このような建築が見られます。
とても可愛らしくて、子供のころ読んだ西洋のお話の舞台になりそうな。
何となく私も童心にかえって建物を眺めていました。

 

そうこうしているうちに、ルーアンの大聖堂へ。
この大聖堂は本当に大きく立派で、
近くの広場からの撮影だと、広角レンズでないと
画面に入りきりません。
印象派の画家モネはルーアンに住み、
この大聖堂の絵を何枚も描いています。

 

聖堂の中は西洋のごく普通の古い教会のつくりで、天井が高く、広々としています。
勿論ステンドグラスもあって、静かなほの暗い空間に、美しく輝いています。
とても荘厳な感じがして、日本の寺社とは違う意味で美しいです。

そしてここルーアンが有名な都市であるもう一つの理由。
それは、ジャンヌ・ダルクが処刑された場所だからです。
街の中にはこのような「ジャンヌ・ダルク通り」があったり、
ゆかりの場所がたくさんあります。

 

彼女の名を冠した教会もあって、その名も「ジャンヌ・ダルク教会」。
大聖堂のような古い建物ではないので、デザインも斬新です。
教会の高い天井を、頂点に向かう大きなカーブを描いて作っています。
ヨーロッパの都市で、これが教会だとはすぐにはわからないフォルム。
勿論見学できます。中に入ってみましょう。

 

教会内部はとても明るく、さすが近代の建築だなと思わされます。
外から見た屋根の通りに天井は中央に向かって絞られており、
窓には普通にステンドグラスがたくさんはめてありました。
このステンドグラスの数がとても多いので、光が多く、明るい。
蝋燭の炎と外の光と相まって、教会全体がきらきらして見えます。

 

実はこのステンドグラスは16世紀頃に作られたものなのです。
以前は別の教会の窓を飾っていました。
しかし戦争となった時に被害を受けるのを恐れ、
人々がこれらのグラスを見つからないように隠したのでした。
そして戦火を逃れることができ、今はこの教会を飾っています。

 

この教会の周囲には広場があり、
このように八百屋さんとか魚屋さんがお店を出しています。
外では子供たちがボールで遊んでいたりするのどかな場所ですが、
この広場が、ジャンヌ・ダルクが処刑された場所なのでした。
生きたまま火に焼かれるという、むごい刑罰を受けた時の彼女は
まだ19歳の少女でした。

 

ある日森の中でジャンヌは、フランスを救えという「声」を聞きます。
それに従ってジャンヌは王太子と会い、民衆を扇動し、
百年戦争でフランスを勝利に導いたのです。
しかしその後のパリ奪還などで国と意見が合わず、
最終的には森の中で聴いた「声」の主がキリスト教聖人ではなく、
森の精など他宗教のものだったという、異端裁判の結果を受けました。
裁判の間、彼女はこの塔の中に幽閉されていたそうです。
この塔はもとは7本あったそうですが、今はジャンヌを幽閉した塔だけが
観光用に残されています。

 

小さな木の橋を越えて入口へ。
私が行った2月はフランスの観光オフシーズンなので、
私達の他にお客さんはいませんでした。
塔の向かいの家にいた管理人さんが
私たちを見て、とんできてくれました。

 

塔の中は階段がらせん状に上まで続いており、
その途中にこのような小さな窓が所々にあるのみです。
その窓も大変少ないので、外の光が入らない。
とても暗い場所でした。
まだ少女だったジャンヌには、通常の幽閉だけではなく、
男性の看守たちからのおぞましい脅迫に対する恐怖もあったことでしょう。
自分を守る手段として、一度女性の服にかえったはずのジャンヌは、
裁判が終盤にかかった頃、再び男装に戻りました。
結果、異端者の烙印を押されて、彼女の死刑が決まってしまうのです。

 

まだ十代の少女がフランスを勝利に導き、
自分の誇りを守るために命を落とした場所。
そんな場所にも、このように落書きがあるんですねえ。
日本人のものばかりではないようですが、
こういうのは国を代表しての恥さらしですからね。
本当にやめていただきたいものです。

 

ルーアンは一日で観光出来てしまうほどの大きさの街です。
そんな小さな街にも、様々な歴史が刻まれています。
私の住んでいる東京の片隅は、WW2の時に焼夷弾で焼き払われました。
今ではそんなことがあったことすらわからないくらい、のどかで平和な場所です。
ここも同じようにのどかな街ですが、ジャンヌの功績を讃えるものが残されており、
そしてなによりも、この街の人たちの心の中に、ジャンヌが生き続けているのだと感じました。
こうして語り継がれることは、ジャンヌにとっては勝利です。
そんなことを思いながら私たちは、フランスも自分も勝利に導いたジャンヌのいた街を後にしました。

 

2009年フランス旅行記・南仏 1:マルセイユ
2:エクス・アン・プロヴァンス
3:アヴィニヨン
4:シュヴァルの理想宮
ゴッホの足跡を訪ねて 1:アルル
2:サン・レミ
3:オーベル・シュル・ロワーズ
フランス雑記 1:ルーアン
2:パリ・ぶらぶら散歩
3:フランスグルメ

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