2009年フランス旅行記
2009/2/1(木)〜2/2(金)

〜ゴッホの足跡を訪ねて・アルル(Arles)〜

 

私の今回の旅行の大きな目的のひとつに「ゴッホの眼に映ったフランスを眺めてみる」がありました。
ゴッホは主にフランスで活動し、フランスで亡くなっていますが、オランダ人です。
仲の良い弟テオとともにパリで働いていましたが、人間関係を築くのが苦手で、
色々な仕事に就くも挫折続きだったゴッホ。
弟の援助を受けながら、彼は残りの生涯を画家として生きました。
その彼の才能が大きく開花した場所。それが南仏の街アルルであったのです。

 

紀元前よりローマ都市として発展していった、長い歴史の街アルル。
ビゼー作曲の「アルルの女」は、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
今でも古い町並みは残り、道は細くうねうねと曲がっています。
小さな街であるのに、方向音痴な私は、なかなか道を覚えることができませんでした。

 

ローマ時代の遺跡も多く残るアルルは、観光地という位置づけであるようです。
街の中には普通の商店もありますが、お土産物屋さんも多い。
オフシーズンだったので、殆どのお店はお休みでちょっと寂しかった。
しかも日曜日にあたったもんだから、普通の商店も休みが多かったのです。
でも開いているお店はこのように明るい色彩に溢れており、
やはり南仏なんだなーと、感じさせられました。

 

街の一角でペタンクに興じる地元のおじさんたち。
ペタンクはあちこちで見かけました。みんな楽しそうです。
ペタンクの検索かけて初めて知ったのですが、
日本ペタンク協会なんてあるんですね…。
ランキングのページなど見ると、結構競技人口ありそうです。

それでは、アルルでのゴッホゆかりの場所のいくつかへ
ご案内しましょう。

 

1:黄色い家

 

ゴッホのファンではなくても、この絵には見覚えがある方多いのでは?
「アルルの寝室」です。
ベルギーで絵を学んだゴッホはパリに移住します。
そこの画塾でまた絵を学ぶのですが、その時に知り合いになったロートレックに
南仏への移住を勧められます。
ゴッホはパリを発ちアルルに居を移しますが、自分ひとりで行くつもりはなかったようで、
十人以上の画家仲間に「一緒にアトリエを」という手紙を出していました。
しかしそれに応じて来たのは、ゴーギャン一人でした。

 

「アルルの寝室」の家かどうかは不明ですが、
ゴッホのアルルでの住処「黄色い家」が左の絵です。
今はもう「黄色い家」はありませんが、
黄色い家の後ろに描かれた赤い屋根の建物は、
今でもそのままの姿で、アルルの街角に建っています。
この場所はローヌ川の近く。
ゴッホの絵では広い道が描かれていますが、
今は大きな駐車スペースがあったりスーパーがあったり。
この家が残っていたことが奇跡のように思えます。

 

2:アルルの病院の庭

 

ゴッホはゴーギャンとアルルで共同生活を始めますが、
それはわずかな期間で終わりを告げます。
ゴーギャンがアルルに到着してから2ヶ月後。
普段からゴーギャンとは芸術について様々な意見交換をしたようですが、
「自画像の耳の形が変」とゴーギャンに言われたのち、
ゴッホは自分の耳を切り落として、なじみの娼婦に贈りました。
これを大事に持っていて欲しい、と。
当然ながら警察沙汰となり、ゴッホは精神病院へ入院しました。
その時の病院の中庭の様子を描いた「アルルの病院の庭」です。

 

当時ゴッホが入院していた病院は今はもうありませんが、
ゴッホの死後、彼の絵の価値が高まってきて、
この建物もゴッホの絵をもとに復元されたそうです。
ゴッホが2階から眺めたのと同じ光景が、今でも見られます。
真冬だったのですが、常緑樹も植えられており、
暖かい季節には、さぞかし美しい庭となるのだろうなあと思いました。
この絵は退院した後に描かれたものだそうですが、
色彩も構図もとても安定感のある絵に感じられます。

 

このようにゴッホが絵を描いた場所には、
誰が見てもわかるように、説明の看板が設置されています。
その絵を知らなくても「ここでこの絵を描いたのか」ということが
わかるようになっているのはいいですね。

 

3:アルルの跳ね橋

 

この絵も有名ですね。「アルルの跳ね橋」。
跳ね橋の上を渡っていく車と、川で洗濯をする女性たち。
ゴッホが南仏の明るさと色彩にとても魅了されていたのが、
この絵からもよくわかります。
平和な日常を描いた、どうってことのない絵ですが、
私はとても「安定」を感じるのです。
それが何なのかはわからないのですが…。

 


Pont Van Goghとある
この絵の跳ね橋は、当然ながらもうありませんが、
同じ場所に新しく跳ね橋がかけてあります。
勿論ゴッホゆかりの場所として、観光目的のものです。
場所はアルルの街中から2KMほど離れています。
晴れていればいいけど、雨ならちょっとつらいかなという距離です。
しかしながら途中に目印となるものが殆どないので、
「本当にこの道で大丈夫?」と何度も心配になりました。
たまたま会った人や、たまたまあったお店などに地図を見てもらい、
教えていただいて、1時間ほどして無事にたどり着きました。
教えてくださった皆さん、ありがとうございました。

こんな道を行く

 

これが復元された「アルルの跳ね橋」です。
跳ね橋は復元物でも、場所は本当にここなのですよ。
先ほど通ってきたさびしい道が、昔はどんな場所だったのかはわかりませんが、
ゴッホは歩いてこの場所まで通ったのでしょう。
川もこの絵のとおり小さなもので流れも緩く、昔は洗濯場として使われたのでしょう。
ゴッホはこの光景を見て、何を感じて絵にしようと思ったのでしょうか。
夏場になるとこの場所も光で溢れて、多くの観光客で賑わうのでしょう。
機会があったら、また明るい季節に来てみたいと思いました。

 

4:アルルの闘牛場

 

アルルはフランスの都市ではありますが、イタリアやスペインが近い。
ローマ都市でもあったわけですし、ラテン系の文化が息づいています。
ローマのコロッセオそっくりの闘牛場、円形劇場、大衆浴場。
ゴッホの時代は闘牛が頻回に催されていました。
その大衆の様子を描いたのが「アルルの闘牛場」です。

 

闘牛場の外にこのように説明看板が。
今でも闘牛は時々催されており、牛追いもあるとか。
その時はこのくらいの混雑になるそうですよ。
街中全部が大変な人・人・人で溢れるそうで、
場所によってはちょっとした移動もままならないとか。
私の行った時は人がいなくて寂しいくらいだったので、
そんな人で溢れかえるアルルを見てみたい気もします。

 


これは円形劇場
アルルの闘牛は、闘牛士が馬に乗って闘います。
国によって牛を殺すか殺さないかは色々で、
昔は今と違って貧しい人への肉の施しの意味も兼ねていたと。
で、アルルの闘牛は殺すようです。
そして、今ではどうかわかりませんが、ゴッホの時代は
闘牛士が勝った印として、牛の耳を切り取ったのだそうです。
ゴッホが耳を切ったのは、偶然かもしれませんが
闘牛を見た翌日だったと言われています。

 

夜になると闘牛場は、このようにライトアップされます。
これは闘牛がない時でもなされているので、
アルルに一泊するのでしたら、ぜひとも見に行ってください。
昼間とはまた違って、幻想的な美しさです。

 


耳を切った自画像

 

5:ローヌ川の星月夜

 

「星月夜」という絵を、ゴッホは何枚か描いています。
これはその中の一つ、「ローヌ川の星月夜」です。
カンバスの殆どが黄色と青で塗られており、
暗い夜のはずなのに、歩いている二人の足元は明るい。
水面に映る光は、星なのか家の明かりなのか。

その後、サン・レミでもオーベル・シュル・ロワーズでも
ゴッホは星月夜を描き続けるのです。

 

そのローヌ川ですが、このような川です。
絵のとおり川幅はとても広く、ゆったりと流れています。
水面に対岸の建物が映ったりして、静けさを思わせます。
これが昼間のローヌ川ですが、夜はというと…

 

こんな感じになります。
赤い灯がなんかちょっといやらしいなーと感じますが、
アルルの街中の街灯は、殆どがこの色なのです。
娼婦街など、特定の場所を示すものではないので、念のため。

 

堤防から夜の川を見ると、こんな感じです。
この日は小雨がパラついており、星は全く見えませんでした。
その代わりのように、街灯や車のヘッドライトなどが
川面に反射して美しく揺らめいています。
そう、あの星月夜の絵の星のように。
私達の生きる現代では、あまり星や月を見なくなりました。
沢山の明るい街灯が、それらの光を届かなくさせているせいでしょうか。
でも昔は月や星の光が、夜の川面にしっかりと
映っていたのかもしれません。
そして、暗い場所を歩く人たちの足元も、
月と星の明かりが照らしてくれていたのでしょう。
暗い中に見える、いくつもの光。
それはゴッホが見た「本当の月と星の光」というだけでなく、
人生を照らしてくれる数々の光だったのかもしれません。

 

6:夜のカフェテラス

 

「ゴッホの絵で何が一番好き?」と聞かれたら、
私は迷わず「夜のカフェテラス」と答えます。
右写真のようなバッグも持っているくらい好き。
「ローヌ川の星月夜」でもそうですが、
この絵でゴッホは、夜空を青で塗っています。
そして光である星は黄色、カフェの照明も黄色。
青に対比しての黄色の温かさがとても好きで、
アルルに行ったら是非ともここでお茶を飲みたいものだ、と
とてもとても楽しみにしていました。
そう、このカフェはこのままの状態で今も残っているのです。

 

アルルの街の真ん中、フォラン広場という場所にカフェはあります。
街のあちこちにこのような小さな案内表示が出ています。
カフェの目の前のホテルは「Grand Hotel Nord-Pinus」という有名な所で
そのホテルを目印に進んでもいいかもしれません。

 

そして、ついに見つけましたー、「夜のカフェテラス」を!
この日は小雨だったので、屋外のテラス席は未使用でした。
なので、あの暖かい黄色い照明はありませんでしたが、
本当に絵のままのカフェで感激でした。
勿論近くにはゴッホの絵の説明書きが。
丁度このくらいの角度から見て描いたんでしょうね。う〜ん。

 

昼間に見ると、こんな感じです。
オフシーズンなので外のテラス席に座るお客さんもいなくて、
何となく寂しい感じに思えます。
が、ここもゴッホのお店として名高い観光名所ですので、
オンシーズンだと席がいっぱいで、入れないこともあるとか。

 

黄色い壁には「Cafe Van Gogh」と書かれており
テーブルセンターも当然ながらゴッホです。
ゴッホは他に「夜のカフェ」という絵も描いていますが、
それは労働者階級のためのカフェであって、
このお店はそれより少し社会的な格が上の人のカフェだそうです。

 

とはいえ、今はごく普通のカフェの筈。
夜の6時頃に店の中をのぞくと、まだ店員さんがいましたので
扉を開けて入ってみました。
この日は日曜日で閉店時間が早かったみたいで、
私が入ってから30分くらい後に来た夫婦は入れなかったようです。
早めに行ったほうがよさそうですね。

 

軽食もあるのですが、入った時間が遅かったので飲み物だけ。
紅茶とワインを頼んで、ついでに店内の写真も撮らせてほしいと
申し出ました。
写真撮る観光客多いんだろうなー。あっさりOK。

 

当然ながら店内はゴッホの絵の複製画がたくさん。
このカフェ、2階もあるようなのですが、
さすがに2階にまで図々しく上がっては行けませんでした。
でも、1階の雰囲気だけでも十分に満足です。

 

こちらの壁には闘牛の開催を知らせるポスターが貼られていました。
店内は思ったよりも広く、欧州にしては明るめの照明の場所もあるし
絵の飾られている場所は少し暗めになっていたりします。
昔は裕福な階級向けのカフェだったこのお店。
ゴッホは実際にここでお茶を飲んだのでしょうか。
それとも外から眺めて、描くだけだったのでしょうか。

 

店内に飾られた「夜のカフェテラス」の複製画の前に、
店員さんのバッグが無造作に置かれていました。
彼女たちにとっては日常でも、私には非日常の場所。
ゴッホも、きっとそうだったのではないでしょうか。
このお店に通っていた富裕層の人たちも、
まさか貧乏画家の描いたこのお店の絵が、
後の時代に高く評価され、世界のあちこちからこのお店に人が来るとは、
全く思っていなかったことでしょうね。
このお店に足を踏み入れたことはなかったかもしれませんが、
ゴッホはここの常連の富裕層以上に、このお店に貢献したのです。
この絵がなければ、私も今この場所にはいなかっただろうと思うと、
人生とはなんと不思議な偶然に満ちていることかと、深く考えさせられます。

 

2009年フランス旅行記・南仏 1:マルセイユ
2:エクス・アン・プロヴァンス
3:アヴィニヨン
4:シュヴァルの理想宮
ゴッホの足跡を訪ねて 1:アルル
2:サン・レミ
3:オーベル・シュル・ロワーズ
フランス雑記 1:ルーアン
2:パリ・ぶらぶら散歩
3:フランスグルメ

湯でたこの温泉めぐりへ>>湯でたこ観光局へ