2009年フランス旅行記
2009/2/3(火)

〜ゴッホの足跡を訪ねて・オーベル・シュル・ロワーズ(Auvers-sur-Oise)〜

 

ゴッホはサン・レミの療養所から、最後はオーベル・シュル・ロワーズという場所へ移ります。
ここはパリから車で2時間ほどの場所で、電車も通っています。
オーベル・シュル・ロワーズというのは、「ロワーズ川の上」という意味。
静かな田舎町で、ゴッホはここに住むガシェ医師の治療を受けることにしたのでした。
しかし病状は改善をみることなく、ここに移り住んでからわずか70日後にゴッホは銃で自分を撃つのでした。
ゴッホが人生の最期を過ごした場所。ゴッホが最期まで精力的に絵を描いた場所。
ゴッホと唯一の理解者であった弟のテオが眠る街へと行ってみました。

 

電車で行こうかなーと思ったのですが、とても本数が少ないのです。
それに、ちゃんと自分が迷わずに行けるのかどうかも自信がなかったので、
今回はガイドさんを頼むことにしました。
パリからここをガイドしてくれそうなところを色々とサイトで探して、
フランスゴルフ観光旅行専門店というところにメールで問い合わせてみました。
日本語での案内でOKとのこと。
パリのホテルまでフランス人のカロリンさんが迎えに来てくださり、早速出かけました。

 

ゴッホの墓前に供えるお花を買っていきたいと伝えてあったので、
現地へ行く前にパリの花屋さんへ寄ってくださいました。
パリにはとても花屋さんが多く、朝市などでも必ずお花屋さんを見かけます。
フランス人は人の家を訪問する際に、お花を持参するのが一般的だとか。
日本だとお煎餅やチョコレートの詰め合わせなど、食品が主ですよね。
フランス人は、お花とワイン。
私はここで、ゴッホの好きだった「黄色」の花束を作ってもらいました。

 

パリの雑踏を抜けて、高速へと入ります。
パリの渋滞はとてもひどいもので、これを抜けるのに時間が予想出来ない。
そのため、カロリンさんは予定よりも随分早めに家を出たそうです。
カロリンさんはタクシーの営業許可も取得していて、
専用のレーンを走ることができるのですが、それでも混む時は本当に混みます。
渋滞を抜けて高速へ入ると一安心。

 

しかしオーベル・シュル・ロワーズが近づくにつれ、
パリよりもかなり気温が下がってきました。
道はこんな感じで、凍結してしまっています。
冬タイヤを履いていても、斜面やカーブは本当に怖い。
歩いていても、ツルツルと滑りましたよ。

 

車を降りて、まず最初に行ったのは、ゴッホが死んだ麦畑。
今はもう冬なのでこんな光景ですが、ここは今でも麦が植えられているそうで、
秋の刈り取りまでにくれば、美しい麦畑が見られるそうです。
ゴッホが死んだのは、7月29日。銃で自分の腹部を撃ったのは、その2日前です。
ゴッホはここでは70日間しか過ごしていないので、この冬の景色をみることはなかった。
美しい麦畑を見ながら、一体ゴッホは何を思って引き金を引いたのでしょうか。

 

ゴッホの自殺説にはいまだに謎とされる部分も多く、
他殺説もあるのだとか。
ゴッホは撃ってすぐに死亡したわけではないので、
ガシェ医師も治療しようとしていたそうです。
しかし、ゴッホ自身から「助けないでくれ」と懇願された。
そして2日間苦しんで苦しんで、ゴッホは最期を迎えたのです。

 

その麦畑からそれ程離れていない場所に墓地があります。
ここにゴッホとテオが眠っている。
生きている間は病気に苦しめられ続け、人と協調して生きていくことができず、
絵も売れず、弟以外からは理解されない孤独な人生を歩んだゴッホ。
37年間という短すぎる人生ではありましたが、誰よりも激しい絵への情熱は
今でも彼の絵から感じることができます。

 

広い墓地の片隅に、その2つのお墓はありました。
向って左がフィンセント・ファン・ゴッホ、右がテオ・ファン・ゴッホです。
テオはゴッホが銃で自分を撃った翌日に、パリから駆けつけます。
テオはずっと金銭的に精神的にゴッホを援助し続けてきたのですが、
この自殺の少し前に、金銭的援助の苦しさをちらっと匂わせるような手紙を
ゴッホに送っています。それから間もなく、自殺の報が入る。
そのため、この自殺はテオにとってもショックが大きく、
その手紙が原因かどうかは最期までわからなかったのですが、
テオは翌年33歳の若さで急死するまで、そのことを悔やんでいたといいます。

お墓は蔦のような植物で覆われ、そのあちこちに凍った花束がさしてありました。
私も黄色いバラとミモザの花束を、2つのお墓にさしてきました。
こうしてお墓の前に立つと、ゴッホの絵が次々と頭に浮かんでは消え浮かんでは消え。
ゴーギャンが言うように、ゴッホの死は「彼の苦しみの終わり」だったのでしょう。
2つ並んだこのお墓からは、安らぎの気持ちさえ感じるのでした。

 

フランスのお墓の権利というのは、30年が基準なのだそうです。
30年たって契約を更新する場合は、またお金を払う。
契約の更新がなければ、そのお墓は無縁仏となって、
決まった場所に移されるのだそうです。
ゴッホのお墓は誰かが更新しているとも思えませんが、特別なのでしょう。
お金持ちの人は、お墓全部を覆うような大理石の墓石だったりしますが、
小さな墓石のみで、ゴッホのお墓のように、植物を植えられたのもあります。
手入れをちゃんとする人がいるのだったら、四季折々のお花が咲くお墓というのは
とてもきれいでうらやましいですね。

 

墓地近くの公園には、彫刻家オシップ・ザッキン作の
「ファン・ゴッホのモニュメントがあります。
これは私の想像していたゴッホそのものでした。
顔はゴッホの描く自画像のとおりなのでしょうが、
おそらく神経質そうに痩せていたと思います。

 

お次は教会です。これもゴッホの絵の中で有名なもの。
たまたま教会は補修中でした。
絵の教会は不気味な感じに歪んでいますが、
実際の教会は、もちろんそんなことはありません。

 

中もごく普通の教会です。自由に入ることができます。
大寺院に比べると質素ではありますが、
それでもステンドグラスや宗教画なども飾られています。
フランスでは通う教会も学校も、全てが住所によって決まります。
結婚式も、自分たちが通っていた教会で挙げるのだそうです。
人気のある教会がたくさんあるので、そうでもしないと
ノートルダム寺院などは、大変なことになってしまいますからね。

 

さて、市役所の前に「ラヴー亭」という建物があります。
ここはゴッホが下宿していたラヴー亭を再現したもの。
2階には、ゴッホの部屋も作られています。
実際のラヴー亭は、はるか昔になくなっており、
残っている写真から図面を起こして、同じ建物を作りました。
この場所にあった部屋でゴッホは毎日を過ごし、
自殺した時には、1人でこの下宿まで歩いて帰りました。

 

度々名前の出てくるガシェ医師。ゴッホの手による肖像画はとても有名です。
ガシェ医師は当時では珍しく、東洋医学を治療に取り入れていました。
漢方とか、そういうものですね。
この頃は精神病に効果のある薬はまだまだ開発されていませんでした。
そしてゴッホ自身も浮世絵など東洋的なことに魅かれていたこともあり、
ガシェ医師の治療に一縷の望みを抱いたのでしょう。
その気持ちは、痛いほどよくわかります。

 


ガシェ医師の家
しかし、70日後に自殺という結果からみると、
この治療は失敗だったと考えざるをえません。
それはそうでしょう、精神科の治療は今だって難しく、
薬のさじ加減一つで、全く状態が変わってしまうこともあります。
しかも漢方での劇的な効果というのは、もっと期待できなかったでしょう。
ゴッホの病名は、統合失調症もしくは重度のてんかん、
他にも色々と説があり、様々な病気が併発していたという見方もあるようです。

しかし、自殺が本当に「苦しみからの解放」だとしたら。
もう自分は死ぬより他に、苦痛から逃れる術がなかったとしたら。
ゴッホの負っていた苦しみを、私たちは知ることはできません。
私たちが考えるよりもその苦しみはずっと深く、絶えずそれで頭がいっぱいであったら、
死を選んだ彼の判断は、間違っていなかったことになるでしょう。
だからこそガシェ医師も、ゴッホの願いを聞いて、
積極的な治療を行わなかったのかもしれません。

 

この街のあちこちに、やはりゴッホの残した絵の場所があります。
滞在期間も短かったし、サン・レミほど精力的に描いていませんが、
一つ一つの絵には、ありったけの彼の喜びや悲しみが
凝縮されて詰まっているように感じます。

 

5時間ばかりの滞在でしたが、念願だったゴッホのお墓参りまでできて、
本当に感無量でありました。
オランダにゴッホ美術館がありますが、そのうち必ず行くつもりです。
しかしフランスで人生の大半を過ごしたゴッホは、
フランスのほうにより多くの足跡を残しています。
このお墓には南仏の太陽のような強い日差しはささないかもしれませんが、
苦しみから逃れ、仲の良かった弟テオと静かに眠っていられるここは、
ゴッホにとっての永遠の安らぎの地であるとも言えるでしょう。
私は常々、人生に一番大切なものは心の安らぎだと思っています。
その安らぎのない人生を過ごしたゴッホだからこそ、
あのように情熱的な筆遣いで、描くことができたのかもしれません。

 

最後に、お世話になったParisgolfさんについて少々。
公式ページを見ていただければわかるように、日本人の旦那様とフランス人の奥様の会社です。
観光の案内や、車の運転などは主に奥様がなさっています。
日本語はほぼネイティブで(日本に5年間住んでらしたそうです)、その他に英語ドイツ語イタリア語OK。
観光の合間に、私のフランスについての疑問などについて(社会制度や習慣など)質問すると、
かなり詳しく教えてくださいました。
私はガイドを頼んだのは初めてなのですが、見学も最短コースで充実していたし、
その他のさり気ないおしゃべりがとっても楽しかったです。
日本語しか話せない人でも大丈夫!お勧めです。

 

2009年フランス旅行記・南仏 1:マルセイユ
2:エクス・アン・プロヴァンス
3:アヴィニヨン
4:シュヴァルの理想宮
ゴッホの足跡を訪ねて 1:アルル
2:サン・レミ
3:オーベル・シュル・ロワーズ
フランス雑記 1:ルーアン
2:パリ・ぶらぶら散歩
3:フランスグルメ

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