2009年フランス旅行記
2009/2/2(月)

〜ゴッホの足跡を訪ねて・サン・レミ(Saint-Remy)〜

エクスには都合3日間滞在したのですが、
そのうち1日をサン・レミという都市の訪問にあてました。
アルルで自分の耳を切って娼婦に送るという奇行のため、
ゴッホはアルルの精神病院に収容された後、サン・レミの病院へ移ります。
エクスからサン・レミへは、車で数時間の距離。
エクス・アン・プロヴァンスTGVの駅から、レンタカーを借りて行きました。

 

私はエクスの街中に宿泊していたのですが、
TGV 駅も歩いて行ける距離だと思っていたのです。
とんでもない!車で20分以上走るほど離れていました。
TGV駅というのは、新幹線の「新○○駅」のようなものらしい。
行く予定のある方は、どうぞご注意ください。
そのTGV駅の横に並んだプレハブ小屋が、レンタカーの事務所です。

 

車を借り、そこから1時間ほど高速のような道を走り、
その後はこのような並木道を延々と走ります。
周囲には田園風景が広がり、とてものどかな感じ。
のんびりと走っていると、サン・レミの街に到着です。

 

サン・レミの街の中心部、お店やカフェなどが集中している場所は
車で5分あれば一周できるくらいのちいさなもの。
何度かまわって街の感覚をつかめたので、
街中心の駐車場に車を停めました。
まずはぶらぶらと歩いて、街の雰囲気をつかみます。

 

ぽかぽかと晴れて暖かい日差しの中、
ここでもおじさんたちがペタンクに興じていました。
パリではそれ程見ることのない風景ですが、
今回の南仏では毎日のように見かけました。

 

可愛らしいお土産物を売っている店もありましたが、
今はオフシーズンなので閉まっているところが多かった。残念。
右の写真のラベンダーのドライフラワーは、
エクスの朝市でも沢山見かけました。

 

車がとても通れないような細い道も多く見られます。
そのうちの1本の道沿いに、このようなプレートが掲げられた家が。
そのプレートを見ればわかりますが、ここはあの
ノストラダムスの家だったのだそうです。
ノストラダムスって、いつ頃の人だっけ?と思い調べたら、
1503年〜1566年だそうで。
ということは、少なくとも500年以上はたっている建物なのですね。
地震のない国って、すごいなあ。

 

プレートはフランス語で書かれているため、
ちゃんと読むことはできませんでした。
後藤勉著「ノストラダムスの大予言」は、
私が子供のころすごいブームを巻き起こしました。
で、子供ながらに「1999年に世界が滅亡するのなら、
老後の心配はいらないってことだなあ」と、
呑気に考えていたのを思い出します。

 

すぐ近くに「ノストラダムスの泉」もありますが、
涸れているのか、全く水はありませんでした。
有能な占星術師であったノストラダムスは、
自分が死んでなお数百年にもわたって語り継がれることを
自分で予測できたでしょうか。

どのようにでもとれる散文詩の形式で予言が書かれているため、
色々なことにあてはめられてしまう。
そんな、かなり疑わしいものではありますが、
こうして後世まで語り継がれるだけでも大したものだと思います。

 

私は今回の南仏の旅行で、ゴッホが見た光や色、空、花を実際に見て、
明るい色彩で描きまくったゴッホの気持ちに少しでも近づきたかった。
特にこのサン・レミは、ゴッホの画風に変化が起きた頃の滞在地です。
糸杉も空の星も、ぐねぐねと曲がって渦巻き状に描かれる絵は、
サン・レミの療養所にいる時からのものです。
サン・レミでの療養生活は、サン・ポール・ド・モーゾール修道院付属の病院。
今でも残っており、もちろん病院としても機能しています。
旧市街地から少し離れた場所にあり、この看板が唯一の目印。

 

上の看板が見えたら、修道院方面へ道が作られているので、
そちらに向かって車を進めましょう。
のどかな、いいところだなというだけで通り過ぎることが出来ないものが、
道の端に次々と現れてきます。
例えば…

 

道端にこんな看板があちこちに建てられているのです!
これはゴッホが病院の外へ出る許可をもらった後、
この病院周辺の風景を描きまくった、その絵なのです。
その絵看板のある場所が、ゴッホが描いた場所。
私は、100年以上の時を隔てて、
今、ゴッホと同じ場所に立って、同じ空を見ているのです。

 

とにかくこの病院周辺には、そんな場所がごろごろしています。
このような看板があるので、この通りに進んでいくと、
かなりの数の現場を見ることができます。
療養中にゴッホは、付添付きで病院の周辺あたりしか
外出することができませんでした。
療養中であっても創作意欲は衰えることなく、
精力的にこの病院周辺を描きまくっています。

 

ゴッホが描いた頃とは、景色が違っているところもあります。
昔、ゴッホはこの景色に何かを感じて、筆をとったのでしょう。
木の位置などが微妙に違っていても、
全体の雰囲気が損なわれているわけではない。
ゴッホの絵から感じる何かを、今もそこに見ることができました。

 

病院の外壁にそって、のんびりと歩きます。
先ほどの地図によると、こんな細い道にも
ゴッホの足跡があるそうです。
道を挟んで病院の反対側は、普通の民家が並んでいます。

 

巨大な糸杉。雄大です。
ゴッホの絵に数多く出てくる糸杉。
うねうねと炎のように空に向かってそびえる糸杉の絵は、
ここでの療養生活から始まっています。

 

ミレーへのオマージュとして描かれたといわれる、
昼寝をする農夫たちの絵。
この場所は今は公園となっていて、子供たちが遊んでいます。
場所の様子は変わっても、のどかで平和な空気は変わりません。

 

そんなこんなで、この病院周辺を歩くだけで、
とても多くのゴッホの絵と風景に出会うことができます。
日本人にはあまりなじみのない小さな田舎の町ですが、
ゴッホの絵の変化、精神状態の変化を感じることができる場所です。

 

ローヌ川を描いた時とは、全く違った夜空のようすを見せる「星月夜」。
うねってそびえ立つ糸杉のバックに、青い夜空と星、月が描かれています。
星や月の光は、まるでその残像までもが見えるように描かれており、
ローヌ川の星月夜と違って、見る者に得体のしれない不安感を与える作品です。
長い時間見つめていると、不安感が大きくなりそうな絵。
なんとも言えない気持ちで、この場所を去りました。

 

病院周辺だけでなく、市街地でも少し作品を描いていたようです。
ここは「道路を舗装する人々」が描かれた場所。
今は駐車スペースとなっています。
コンクリートの舗装になっている場所もありますが、
ところによっては、まだ敷石の道も残っています。

 

さて、先ほど周辺をぐるぐるとまわった精神病院。
ここはゴッホがいた頃と同じ建物のままなのです。
そして、ゴッホがいた病室も、そのまま残されている。
何もないとはいえ、ゴッホが実際にいた部屋です。
ゴッホが朝も夕も、病室から見ていたのはどのような景色なのでしょうか。

 

ここは病院全部が閉鎖病棟らしく、入口の門も施錠されています。
インターホンにはボタンが4つ。そのうち一つにGoghと書かれています。
どきどきしながらそのボタンを押すと、門の施錠がかちゃっと外れました。
門扉を押して、恐る恐る中に入りました。

 

入口にはゴッホのアヤメの絵のモザイクがありました。
その後ろでタバコ休憩していた若いお姉さんが近づいてきて、
申し訳ないけど、ゴッホの部屋の見学は来週からなんです、と
英語で説明してくださいました。
その間、時々建物の奥から聞こえてくる、獣の鳴き声のような叫び。
門に向って歩いていた時にも聞こえていたのですが、
私は犬かなにかの鳴き声だと思っていたのです。
でも、門の内側で聴いたその声は、間違いなく人間のものでした。

一体、何がつらくてあんなに叫んでいたのでしょうか。
女性の声でしたが、彼女にあそこまで叫ばせるほどの幻覚や恐怖とは、
どれほどのものなのか。
さけんで、その声をかき消したり、自分に近づきつつある恐怖を知らせたり、
彼女なりに対抗しうる手段が、あの時折聞こえる叫びだったのでしょう。
そして、ゴッホは、このような重症な人の入る施設で暮らしていたんだ、と。
ゴッホの病室から外を見ても、私にはゴッホの悲しみに近づくことはできないでしょう。
遠ざかっていく叫び声を背中に聞きながら、私は
病室に入れなくて良かったのかも、と思いました。
私の弱い心では処理しきれないほどの重い感情に包まれながら、
私はサン・レミを後にしたのでした。

 

2009年フランス旅行記・南仏 1:マルセイユ
2:エクス・アン・プロヴァンス
3:アヴィニヨン
4:シュヴァルの理想宮
ゴッホの足跡を訪ねて 1:アルル
2:サン・レミ
3:オーベル・シュル・ロワーズ
フランス雑記 1:ルーアン
2:パリ・ぶらぶら散歩
3:フランスグルメ

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