2009年フランス旅行記
2009/2/2(月)

〜シュヴァルの理想宮(Postman Cheval's Ideal Palace)〜

 

もう何年前になるでしょうか。私はたまたまテレビを見ていたのです。
何とはなしに見ていたのですが、画面に現れたある映像と、説明のナレーションに、
私は釘付けになったのでした。
それはフランスのある地方に現存する、たった一人の人物が独力で作り上げた宮殿。
名もない郵便配達夫が人生の全てを捧げた、彼の理想の宮殿。
それこそがフランスの南部ドローム県にある小さな村に、130年前に作り始められた、
シュヴァルの理想宮」であったのです。

 

理想宮のあるオートリーヴ(Hauterives)という村へ行くには、
まずヴァランス(Valence)という駅までTGVで行かなければなりません。
ヴァランスは田舎の割には大きな駅で、利用客も多いようでした。
このあたりはグルノーブルに近いので、アルプスへ行く人も多く、
冬山登山の装備をしている人も見かけました。
駅の外に出ると、遠くにアルプスが見えます。
日本アルプスと同じように、白い山々が連なっているのは、
とても美しい光景でした。

 

ヴァランスからオートリーヴまでは、レンタカーです。
TGVの駅の横に、レンタカー会社のプレハブが並んでいます。
道はこのように平坦で、交通量も少ないので、
左ハンドル右通行に不慣れな日本人でも、なんとか運転できます。

 

ロマンという街に入ると、そろそろオートリーヴの案内が出てきます。
この文字の示す方向に向かって、延々と走っていけばよろしい。
この後も見通しの良い楽な道が続きます。
オートリーヴが近くなってくると、所々に理想宮の案内看板も出てきます。

 

ヴァランスから約1.5時間走って、ようやくオートリーヴに到着。
この「Palais Ideal」が、理想宮のことなので、
この看板が見えたら、あとは徒歩圏内です。
小さな村の中心あたりに駐車スペースがあります。
私が行った日はオフシーズンなので、何箇所も空いていましたが、
オンシーズンだと混みあうと思いますので、ご注意ください。

 

駐車スペースからは、このような小道を行きます。
こんな小さな村ですが、オンシーズンにはシュヴァル目当てで
結構大勢の人が訪れるのです。
そのためお土産物もシュヴァルのものが多くなります。
お土産物屋さんの店頭は、こんな感じでシュヴァルばかり。

 

ここが理想宮の入口。というよりも、チケット売り場です。
ここを通りぬけないと、理想宮へは行けないようになっています。
入場料金は、大人1人5.4ユーロ。
公式サイトをご覧いただけばわかりますが、季節によって営業時間が変わります。
今年は1月いっぱい休んでおり、2月1日からオープン。
おそらく私は、今年最初の日本人観光客でしょう。
ここを訪れる日本人がどのくらいいるのかわかりませんが、
ちゃんと日本語のパンフレットも用意されていたので、思ったよりも多いのかも。
ここで料金を支払って、順路の方向に進むと…

 

ありました!扉の向こうに伸びる蔓植物のトンネルの向こうに
私が何年も前にテレビで見た、あの宮殿があります。
この光景を目にした時は、本当に感激のあまり震えました。
理想宮は四角く、それぞれの面が東西南北を向いています。
これは「北の正面」と呼ばれるところです。
細かい説明は公式サイトをご覧いただくとして
雰囲気を感じていただきたいので、今回は写真多め大きめとなっています。
では、早速近づいてみましょう。

 

遠くからだとわかりませんが、この宮殿の中に入れる入口があちこちに設けられています。
このようにちゃんと字で表示されているところもありますね。
宮殿の周囲に巡らされた階段は、2階のテラスに登るためのもの。
この入口は、宮殿の1階に入るための門なのです。

 

中は何箇所も部屋のような広い場所があり、
その間をこのような通路がつないでいます。
この通路もただの通路ではなく、壁面にびっしりと模様が刻まれています。
照明がないので昼間でも暗いですから、じっくりとこの模様を見たい方は、
何か灯りをお持ちになるといいと思います。

 

天井に飾られたシャンデリア。白い部分は貝殻です。
貝殻はとても多く使われており、この宮殿の装飾に一役も二役もかっています。
この場所では入手しにくい大量の貝殻は、マルセイユに住む妻の甥が
集めては送ってくれたものだそうです。
石とセメントの宮殿にきれいに埋められた貝殻は、
宝石のように光ったりしないですが、とても輝いて見えました。

 

1階には、このように動物らしき飾りも多い。
左の写真は、ラクダのようですね。右はダチョウでしょうか。
その他にも鹿やウサギ、はては象などまでありました。
100年以上前、情報インフラが現在よりも圧倒的に劣っていた時代に、
これらの動物のことを、シュヴァルはどうやって知ったのでしょうか。

 

これは「南の正面」。左に2階へ続くらせん階段が見えます。
そこから大きさを推定してみてください。
かなり大きなものであることがおわかりかと思います。
直線の柱がそびえ立つ中に、ぬめっとした曲線で作られた「オークの木」。
この写真ではわかりませんが、この木には沢山の鳥がとまっているのです。
勿論本物の鳥ではなく、シュヴァルの作ったセメントと石の鳥です。

 

こちらは「西の正面」。このように色々な建物が並んでいます。
ヒンズーの寺院やアルジェの家、ホワイトハウス。
4つの面の中では一番直線が多用されており、
2階の回廊の曲線の集合体との対比が何とも言えないですね。
それにしても、この2階の不気味な形のものは気になります。
2階へあがってみましょう。空中庭園です。

 

2階は想像したよりもずっと広かった。
1階の迷宮は部屋を通路で結んだ構造だったので、
広さは把握しにくかったのですが、こうしてみると広い。
この植物がからまりあったような装飾の質感は
不気味ではありますが、惹きつけられる部分もあります。
石とセメントですから、触れれば冷たいし硬い。
でも、見ているだけだと生きているようですらあります。

そしてこの2階の庭園には、この宮殿にとって
もっとも大事とも言えるものが飾られています。

 

それがこれ、「つまづきの石」です。
シュヴァルは毎日毎日ひたすら村の中を歩いて、郵便物の配達をしていました。
ある日、その歩きなれた道で、シュヴァルは石に躓き、転びそうになります。
シュヴァルは、一部を地面から露出させているその石を掘り出しました。
このような不気味な形をした石から、シュヴァルは何を感じたのでしょうか。
その日から、33年にわたるシュヴァルの理想宮作りが始まるのです。

 

これが一番有名な「東の正面」です。
木に隠れてしまっていますが、左に3人の巨人が見えますね。
この巨人は、最初は手をつないでいるデザインだったようですが、
宮殿が作られていく長い間に、計画を変えることもあったのでしょう。
最初のデッサンとは少々違うものになっていますが、
今でもこの宮殿のシンボル的な存在となっています。

 

仏教の寺院によく見られる宝珠の形をしたような装飾もあります。
イスラムのモスクによく似た作りの門も見られます。

シュヴァルはこの村から出ることなく、その生涯を閉じました。
そんな彼が、これらの縁がないはずの宗教のカラーを知り、
フランスにいないはずの動物達の形を知っていたのはなぜでしょうか。
それは、シュヴァルが石に躓く前の年にパリで開催された、
「パリ万博」の影響が大きかったのではないかと言われています。

 

小学校卒業程度の学歴しかなかったシュヴァルですが、
読み書きに対して臆することなく、雑誌などをたくさん読んでいたようです。
現在のように外国の情報が溢れていたわけではなかった当時、
世界中の国々の紹介をするパリ万博は、大層なイベントでありました。
雑誌なども当然ながら万博を記事としてとりあげたし、
その余波でインターナショナルな話題が多くなっていきました。
シュヴァルはパリ万博には行くことができませんでしたが、
書籍を通じて、この世界には自分の知らない場所がたくさんあって、
そこには奇妙な動物や、キリスト教以外の宗教があること、
オートリーヴとは違う時の流れがあることを知ったのです。
それは彼の好奇心をおおいに刺激しました。
これらの知識が、理想宮の土台になっていったことは、想像に難くないと思われます。

 

おそらくシュヴァルは、それらの国々に実際に行ってみたかったでしょう。
しかしこの時代、そんな贅沢ができるのは、ごく限られた一部の人だけでした。
村の中をひたすら歩いて郵便配達をする彼にそんな余裕はありません。
そこで彼は、それらを自分の手で作ろうと思い立ったのでしょう。
この土地を買い、仕事の途中で良い石があれば拾い集め、
余暇はすべてこの宮殿の建設に費やしました。
村ではすっかり変人として知られていたシュヴァルですが、
この宮殿が出来上がる頃にはあちこちで話題となり、
晩年は訪れた観光客に自分で宮殿の説明をすることもあったようです。

 

東洋も西洋も、アジアもヨーロッパも、イスラム教もキリスト教も、
様々なものが混然一体となって存在する、この宮殿。
この宮殿のあらわす、シュヴァルの理想とする世界とは。

それはシュヴァルの知る限りの、地球上のあらゆるものが集結し、
一つの世界となって、存在すること。
宗教同士の争いもなく、文化の衝突もなく、動物と人間も
全てのものが共存していく世界。
自分が集めた石が、それらの世界を作り上げていく。
それらをつなぐセメントは、おそらく人間なのでしょう。
彼の頭の中に浮かんだユートピアを、実際に形としてあらわされたものが、
この理想宮であったように思います。

 

たった一人で作り上げたこの理想宮に、かれは死後葬られることを望みました。
しかし、キリスト教以外の宗教も肯定するような宮殿を作っていることで、
シュヴァルは教会にきちんと通いながらも、聖職者との関係は
あまりよくなかったようです。
彼は子供に先立たれるという不幸を経験します。
その子供の葬儀を理想宮で行い、埋葬も理想宮にと申し出たのですが、
埋葬は衛生面の問題から、そして理想宮での葬儀は教会に断られました。
そこで彼は村の墓地に自分で墓を作りました。
シュヴァルやその家族は、その墓地で眠っています。
しかしシュヴァルの魂は、今でも理想宮の中にあるように感じられます。

 

理想宮の中に、シュヴァルの生涯の伴侶とも言える「手押し車」があります。
この手押し車に石を乗せて、彼は黙々と建築に励みました。
鉄柵の奥にあり、持ち出せないようになっていますが、
手を伸ばすと、手押し車の持ち手の部分を、今でも握ることができます。
シュヴァル自身がこの宮殿に埋葬される夢はかなわなかったけれど、
彼の分身のような手押し車が、今でもここに残されていることには、
シュヴァルはきっと喜んでくれるのではないでしょうか。
そして、彼の一生をかけた仕事である理想宮が、長い時間評価され続け、
今でも多くの人が訪れる場所となっていることも。

 

シュヴァルがたった一人でこの宮殿を作り上げたのは事実です。
見学に来た人たちは、この宮殿そのものの完成度や芸術性よりも、
「一人で33年かけて作り上げた」事実のほうに関心があり、
建物の芸術性が評価されることはあまりありませんでした。
むしろゲテモノ扱いのような、そういう人気だったようです。
しかし、シュールレアリズムの芸術家の一部には、
宮殿を芸術の対象として評価する者も出てきました。
そして、あちこちにガタが入り始めた理想宮を今後どうするべきかについて
フランス国内でも長いこと論争があったようです。
現在は国の保護下に置かれ、きちんと建物の修理もなされていますし、
季節によっては夜のライトアップまでされるようになりました。

 

左は現在の郵便配達の車。右は村の郵便局です。
この郵便局から手紙を出すと、理想宮の消印になると聞き、
早速絵葉書を買って出してみましたが、普通の消印でした。
以前はそうだったのかもしれないけれど、今は違いました。
ちょっと残念だけど、ここから絵葉書が出せたということだけでもいいや。
お土産物屋さんには、シュヴァルと理想宮の写っている絵葉書が
沢山売られています。

 

何年も前から行ってみたかった理想宮に行くことができて、
大変大きな満足感に浸りながら、帰りの電車に乗りました。
ドイツのノイシュヴァンシュタイン城、スペインのサグラダ・ファミリア、
カンボジアのアンコールワットなど、有名な建築物は数多くあります。
シュヴァルの理想宮はそれらに比べて、知名度には劣るものの、
建築主シュヴァルのたゆまぬ情熱と想像力と意志の力を見せてくれるものでした。
巨大建築物とは全く異なった魅力を見せてくれる「シュヴァルの理想宮」。
そこには今でも、シュヴァルの理想の世界が、大きく広がっているのです。

 

どんな鳥だって想像力よりも高く飛ぶことはできないであろう   寺山修司

 

参考文献:郵便配達夫シュヴァルの理想宮/岡谷公二

 

2009年フランス旅行記・南仏 1:マルセイユ
2:エクス・アン・プロヴァンス
3:アヴィニヨン
4:シュヴァルの理想宮
ゴッホの足跡を訪ねて 1:アルル
2:サン・レミ
3:オーベル・シュル・ロワーズ
フランス雑記 1:ルーアン
2:パリ・ぶらぶら散歩
3:フランスグルメ

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