【2008年9月11日(木)〜14日(日)】

あいがともさげもした鹿児島〜湯でたこのささやかな鹿児島観光2

2:壺畑

鹿児島の福山というところは、お酢の名産地なのだそうです。
昔から大きな甕にお酢を入れて、数年寝かせて良い状態にするのだとか。
しかし戦後の合成酢に押されて、一時期はお酢の生産をストップしており、
昨今の自然への回帰の波にのって、再び脚光を浴びているのです。
そこには壺が一面に並んだ、まさに壺の畑があるのだとか。
それが見られる坂元醸造の「くろず情報館」に、行ってみました。

 

リンク先を見ていただければわかりますが、かなり大きな建物があって、
そこの窓から遠くに壺畑が見渡せます。
その向こうには、海が見える。潜水艦が1隻、浮かんでいました。
壺の中で作るお酢の特徴などが書かれたパネルもあり、
そのすぐ横には壺で仕込まれたお酢を買うことのできる売店もあります。

 

しかし、壺畑をもっと近くで見たい!と思っていた私には、
遠くにしか見えない状況というのは、ちょっと不満でありました。
でも大丈夫。このあたりはお酢の会社が他にも沢山あって、
壺畑はあちこちにあるのですよ。

 

ほら、こんな風に!すごいでしょう、整然と並んで!
本当に壺が畑に生えているように見えます。
この壺の中で、今もお酢が発酵を続けているのですね。
天気の良い日には陽の光を燦々と浴びるわけです。
米酢だけでなく、りんご酢なども作っており、
つんと来ないまろやかな酸っぱさで、希釈して飲むと美味しい。
やはり作り方で、味って変わってくるんだなあと感じました。

 

上の写真は高い場所から写しているのですが、
これらの壺畑はすべてセコムなどで守られています。
高級品ですからねー、一朝一夕じゃできないものだし。
そういうわけで、すぐ近くに寄ることなどは絶対にできませんが、
この近くにあるお酢屋さん(?)では、量り売りなどもしてくれるので、
その時に壺を近くで見ることが出来るかもしれませんね。
福山の海岸沿いを走っていると、何箇所も見ることができますよ。
壺が整然と美しく並んでいる様子は、一見の価値ありです。

 

3:桜島

鹿児島と聞いてすぐに思い出すのは、西郷さんに島津斉彬、大久保利通、
そしてやはり桜島ですね。
いまだに火口から煙を噴き上げる光景は、遠目に見ても迫力があります。
周囲約55kmの小さな半島で、大隅半島とつながっています。
私はこれ、人間が通行できるように作った道なのだと思っていたのですが、
大正3年の大噴火によって、自然につながったものなのだそうです。
右の写真は、桜島で売られているお土産「火山糖」。
やさしい甘さで、見た目はまさに軽石。桜島にぴったりのお土産ですね。

 

その道を通っていくこともできますが、桜島フェリーもあります。
日中は15分に1本という頻回さで、鹿児島と桜島を往復しています。
勿論人間だけで乗ることもできるし、車も積めますよ。
どうせなら乗ってみたいので、往路は車で行きましたが、
復路はフェリーにのってみることにしました。

 

桜島のフェリー乗り場。すごく沢山の車が並んでいる。
係員さんの誘導に従って、車に乗って並びます。
通勤のために定期券なんかもあるみたいで、
とにかく皆さん慣れてらっしゃる。

 

このようなゲートを通るのですが、そこで料金を払います。
料金がね、また安いんだよね。人間だけなら、大人1人150円だもの。
私は車検証とかを用意していたんだけど、他のお客さんは定期だったりするので、
そんなもの見せないでどんどん乗り込んでいく。
全てが早い。私にとっての地下鉄と同じような、ごく普通の交通手段なのですね。

 

乗る船はこれです。結構大きいでしょう?
これに乗って、鹿児島まで15分。
甲板でのんびりと海を眺めていると、
あっという間についてしまいます。
到着する時間近くになると、皆さん車のほうへ自主的に移動。
私も慌てて、自分の車に戻りました。

 

またまた見た潜水艦。
後で知ったのですが、どうもこの頃、どこぞの国の潜水艦が
領海侵犯していた可能性があったようなのです。
その為に海自がにらみをきかせていたんですね。
物騒なことではありますが、私は生れてはじめて潜水艦を見たので、
ちょっと嬉しい気持ちが勝っていました。

 

そんな桜島ですが、あまり噴煙を噴き上げているのは
今回見ることができませんでした。
これは鹿児島方面から見た桜島。
かすかに山頂付近に白い煙が見えますでしょうか。
なだらかな稜線はとても美しく、噴煙がよく映えます。

 

その桜島の最後の大噴火、大正3年の噴火ですが、
それがどれほどすごいものだったかを見せてくれるのが、これ。
灰で埋没した、神社の鳥居です。
今でもその当時のままで残してあります。
周回道路の脇にぽつんとあるのですが、見に来る観光客は多い。
このすぐ横にあるプレハブ小屋や看板では、
この噴火がいかにすさまじかったか、島民がどれほどの恐怖を味わったか、
写真とともに、展示されていました。

 

噴火の不吉な前兆として、生け簀の魚が大量死したり、冬なのに蛇やトカゲが出てきたり、
井戸水が沸騰したり、弱い地震が何度も起こったり。
山から白い雲のような噴煙が噴き出すのを見て、
これから何が起こるのか、島民は皆悟ったに違いありません。
しかし現代のように避難体制が整っていなかった時代、
逃げ遅れて火砕流に巻き込まれて全滅した村もあったそうです。
海には軽石が堆積し、自主的に船で逃げようにも困難を極めたし、
鹿児島方面からの救助船も不足していました。
海を泳いでいこうとして溺死した人、混乱の末に崖から転落する人。
自然の驚異を前にして「助からない」と感じた時の絶望は、どんなに深かったことでしょうか。

 

数年前三宅島が噴火して、島民が東京に大勢避難してきました。
それより前には、島原一帯が土石流で、大規模に埋まってしまったこともありました。
自然の前には私たちは本当に無力ですが、立ち向かわずとも、逃げることができるようになった。
それでも阪神大震災のように、予兆のないものだと、逃げることすらかなわないこともあります。
この鳥居は、一時期掘り出そうとしたこともあったようですが、このままにしておくべきでしょう。
桜島を訪れた人たちが、昔ここであったことを知るためにも。
そして自分が今生きているということも、様々な幸運の上に成り立っているのであって、
人生に絶望するような事態に出会った時に、この鳥居を見た日のことを思い出せるように。

 

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