2010年夏・沖縄〜宮古・西表・離島たち〜
3:離島たち
3−1:伊良部島・下地島
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宮古島や石垣島を拠点にして、あちこちの島めぐりができます。 前回は行かなかった島へも足を伸ばしてみようと、 宮古島からフェリーですぐの伊良部島・下地島へ行ってみることにしました。 フェリーの着く港周辺に案内がありますので、それに従ってください。 チケットを買う場所なども少々わかりにくいので、聞いたほうが確実です。 |
宮古島からはわずかに5km。すぐ着きます。 ずっとデッキで青い海を見ていました。 風がとても心地いいです。 |
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さて到着。適当に車を走らせる。 しかし、どこまで行っても、町らしきものが見当たらない。 道はきちんと舗装されているが、人間に会わないのです。 ここは本当にのんびりするために来る場所なんだなと実感しました。 |
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下地島は伊良部島から橋がかかっています。 この橋と周辺の海のコントラストが大変美しい。 真っ青な海の中にまっすぐに伸びている橋。 渡っている時もいいのですが、やはりこのように 橋を下りた場所から見るのがいいでしょう。 |
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実は伊良部よりも下地島のほうが楽しみでありました。 というのも、ここには日本で唯一の民間の飛行訓練所があるのです。 すぐ目の前を大型機がタッチアンドゴーしていくさまは見ものだとのことで、 その飛行場に行ってみることにしました。 でも今はJALもお金がなくて大変な時期だし、訓練はされていませんでした。 まあこれも見られるかどうかは運次第だと思います。 私は見ることができませんでしたが、これから行く方はちゃんと見ることができますように。 |
3−2:竹富島
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竹富島の名前を初めて聞いたのは、十数年前のテレビ番組でした。 ある旅行会社の社員が何か新しいツアーを考えるという番組で、 そこで「竹富島」へ「何もしない旅行へ」というプランをたてるのでした。 最初は「うまくいくわけない」と思われていたようですが、 その社員は再び竹富島を訪れて、自分の心の安らぎを確信し 「人生の夏休み」という商品として売り出したのでした。 私はそれを見ながら、自分の国の中にあるとは言え、 竹富島にすごく距離感を感じたのです。 それは物理的なものだけでなく、精神的な、何か。 石垣島から船に乗って、その何かを見つけに行くことにしました。 |
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竹富島といえば、やはり牛車ですね。 お金を払って呼ばれた順番に座っていくのですが 20人以上乗せていたように思います。 もう少し軽くしてあげたらいいのに。 水牛がかわいそうになってしまいました。 |
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島には水牛車の会社が2か所あり、片方はそれほど混まないみたいです。 そんな牛車にゆられて、のんびりと島の白い道を行きます。 曲がり角などでは、ちゃんと水牛が内輪差がわかっているかのように、 絶妙な曲がり具合を見せてくれますので、見逃さないように。 |
道のあちこちに花が咲き乱れ、 白い道がそれをより明るく照らしています。 どうもこの白い砂は海から持ってきているようで、 暑い日だとかなりの照り返しがあります。 ここ竹富島の美しさに一役かっています。 |
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竹富島の民家の屋根は、やはり赤い琉球瓦。 2階建て以上の家はなく、屋根の中央にシーサーが1匹います。 門の両脇に1匹ずつというのも見かけたのですが、 1匹で頑張るシーサー君のほうが多く感じました。 |
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竹富島の住居のもう一つ大きな特徴は、玄関がないことです。 日本家屋で言うと縁側のような場所から出入りするのですが、 その場所は外から見えないように、塀で目隠しされています。 これは悪い霊が玄関から入ってこないように、そして この塀に惑わされて、家に入れないように、とのことでした。 この塀もブロックがあったり生垣があったりして、 それぞれの家の個性がにじみ出て、とても興味深いものです。 |
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牛車でまわる道の途中に「安里屋ユンタ」の 主人公の女性クヤマの生誕地があります。 そういえば「竹富よいとこ一度はおいで」と歌詞にありますね。 竹富の人だったんですね。 リンク先で歌っているのは、ネーネーズとサンディです。 懐かしやサンディ、何年ぶりに見ただろう。 相変わらずお美しい。 |
島では自転車も貸し出していますが、 歩いても2時間ほどでゆったりと1周できるくらいの島です。 住居とわずかなお店以外、何もない。 観光客がいなければ、本当に静かな島でしょう。 人生の夏休み。何もしない、夏休み。 わずかな時間でもゆったりと心安らかになれる島。 私の見つけるはずだった何かは、なんとなくわかりました。でも、内緒。 一度この島を歩いてみませんか。何か新しい発見があるかもしれません。 |
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3−3:大神島
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宮古島の島尻港から、大神島への船が一日に数度出ています。 大神島。私はこの島へ行くことを、ずっと以前から考えていました。 それは寺山修司の短い旅行記「風葬大神島」を読んだからです。 1974年に発刊された「花嫁化鳥」の最初を飾る旅行記であり、 今から30年以上昔の、殆ど人の行くことのなかった大神島への短い、しかし濃い旅。 そこに描かれていることは今はもうないだろうと信じながらも、 村の共同体から誰かが出て行かないように、過去を守ることだけに熱心になり、 殆ど老人と子供だけになってしまった島が、今はどうなっているのか。 自分の目で、肌で大神島を感じてみたいと、私は船に乗り込みました。 |
大神島の港に着くと、「大神島観光サービス」というところがあったので 入ってみると、ほぼ機能していないような状態でした。 その近くのベンチに座って、島のおじいさんがのんびりと煙草をふかしています。 宮古島の人によると、以前は大神島は漁業の島だったが、 過疎化もあり、今後は観光でなんとかやっていきたいと思っている、とのことです。 竹富島のような状態を目指すのでしょうか。 |
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島の海に近い場所をぶらぶら歩いてみました。 展望台のような場所があったので、そこに昇って見下ろしてみました。 本当に何もない、竹富島よりも何もない島です。 でも民家から出てきた人が私を見ても警戒の様子も見せないし、 太陽はとことん明るく、海はどこまでも美しい。 島の人たちの生活の中に入れば、今でも古い因習なども 残っているかもしれません。 が、島の共同体を守るためのよそ者の混入を嫌がった昔とは、 かなり変わってきていることがうかがえました。 |
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どこまでも白い砂浜。遠浅の美しい海。 宮古島の人に寺山修司の旅行記の話をしたら、 確かに昔はそうだったかもしれないけど、 今は島も生まれ変わり、観光でやっていこうとしている。 そういう昔の話をすると、島の人たちは嫌がるよと言われました。 私はそれを聞いて、なにやらほっとしたのです。 大神島は変わろうとしている。古い因習から抜け出して、 島の外からのものも受け入れようとしている。 排他的な昔から、大事にしすぎた過去から脱却しようとしているのです。 |
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大神島が観光の島として、竹富島のようにうまく軌道に乗れるかどうかはわかりません。 しかし開発されていないだけに、全く手つかずの状態の海があり、 風光明媚さでは、他の島にひけをとらないくらいきれいな島です。 寺山修司が訪れてから30余年。 もう島は新しい時流に乗ることを夢見て、まぶしく輝いています。 それは過去を葬り去ることでは決してなく、新たな第1歩を踏み出し始めただけなのです。 そしてその1歩は実は大きな1歩であって、島の人たちの力となりうるものでしょう。 これから大神島がどのようになっていくのか。 再び私がここを訪れた時にも、同じように明るい気持ちでいることができればいい。 そんなことを願って、帰りの船に乗ったのでした。 太陽が 照らす聖域草燃えて 過去世の茨 焼き切りにけり |
参考文献:寺山修司 「花嫁化鳥」