碓氷峠鉄道文化むらにて、にわか鉄ちゃんの1日を楽しむ その2

 

トロッコ列車 シェルパくん

 

碓氷線とは、かつて信越線の軽井沢と横川を結んでいた路線です。
碓氷峠を車で走ったことのある方はお分かりでしょうが、かなりの急勾配なのです。
実際、鉄道が走っていた場所はJR線最大の急勾配が連続しており、難所でありました。
明治26年という、今よりももっと技術的に劣っていたはずの時代に、アプト式で開通した碓氷線。
長野新幹線の開通とともに、惜しまれながらもその役目を終えました。
現在は「碓氷峠鉄道文化むら」から「峠の湯」までの区間を、観光目的のトロッコ電車が走っています。
日本で最初に電化されたという、当時の最高の技術を注ぎ込まれた碓氷線を辿ることが出来ます。
とても人気のある電車だそうで、折角鉄道文化むらに来たのだから、乗ってみることにしました。

 

急勾配を進むには、いくつかの方法があります。その1つがアプト式。
このように線路と車輪に歯車が設置され、噛みあって進みます。
急勾配を上下するのに一番怖いのはパワー不足による逆走と、
スピードが制御できずに暴走して脱線することです。
歯車を使うことによって、それらを制御しながら進行するのです。
現在アプト式の電車に乗ることが出来るのは、静岡の大井川鉄道。
大井川鉄道の様子は、こちらをご覧下さい。

 

「ぶんかむら」駅からだと混雑しそうなので、「とうげのゆ」駅から乗ることに。
線路の向こうに見えるのが「峠の湯」です。
今回は時間の都合で入っていないのですが、温泉施設です。
ここで電車が来るまで、しばし待ちます。

 

しばらくすると、線路の向こうから赤い可愛い電車がやってきました!
この日最初の運行、始発駅はぶんかむら駅です。
こちらの駅では、10人ほどのお客さんが待っていましたが・・・

 

いや〜、電車が近づいてくるにつれてびっくり。鈴なりではないですか!
このトロッコは土日祝祭日しか運行していないのですが、
朝早くから家族連れで大賑わいなのです。
子供達は進行方向先頭に陣取って、とても嬉しそうです。

 

利用料金には、鉄道文化むらの入場料も含まれます。
この切符は、車掌さんから直接買うことも出来ます。
片道、往復どちらでもOK。私は往復分を購入しました。
殆どのお客さんは往復利用するようで、
電車から降りて、すぐに乗車の列に並びなおす人も多いです。
私のように、この電車に乗るために来ているのですね。

 

これが気動車。小さいながらも、黒くてかっこいい。
文化むらから峠の湯方面へは客車を押し、
反対方向に進むときは、客車を引っ張ります。
客車は2輌ですが、お客さんが沢山乗ると、かなりの重さです。
それを楽々引っ張ったり押したり出来るパワー。
小さいのに、大変な力持ちです。

 

客車は2種類。トロッコ式と、普通の客車です。
天気もよく晴れた日には、トロッコ車は大人気です。
特に線路を延々と眺めていられる場所は、人がいっぱい。
子供達は特におおはしゃぎです。

 

走行中、トロッコの端から線路を見ると、このように。
昔の碓氷峠のような急勾配はない場所であるので、
ゆったりとなだらかな場所を進んでいきます。
トンネルはなく、周囲にはひたすらのどかな光景が広がる。
がたんがたんという電車の揺れる音を聞きながら眺める景色は、
とても心が安らぐものでした。

 

途中に1箇所だけ、「まるやま」という停車駅があります。
そのホームの向こうに、この碓氷峠の電車の電力を賄った変電所が残されています。
明治時代に建てられた変電所を、きれいに復旧して今も残してあるのです。
現在は国の重要文化財。日本で最初に電化された路線を支えた、歴史ある建物です。
規模は小さいながらも、レンガ造りの重厚感漂うものでした。

 

碓氷峠での鉄道工事は、列車の走行と同様に厳しいものでした。
開通後も土砂崩れや保線工事などにより、殉職者は500名にものぼりました。
碓氷線はローカル線のため、利用者はかなり限定されていたことだろうと思います。
しかし、確実に日本の鉄道史の重要な部分を担っており、鉄道の近代化への寄与は大きかったものと考えます。
掌をあわせていたので写真には撮れませんでしたが、線路脇には殉職者の慰霊碑が建てられています。
現在の快適な鉄道の旅は、このような人たちの努力の上にあります。
今も昔も鉄道を愛する人がいて、それに人生を捧げる人がいる。
険しい峠と時代を走りぬけた碓氷線の周りには、静かで心休まる光景が広がっています。

 

参考url:「さよなら碓氷峠

 

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