【2006年7月16日(日)】

神岡鉄道と神岡鉱山ツアー 〜鉱山跡とニュートリノの里2〜

 

東京大学小柴博士のノーベル物理学賞受賞は、1973年に江崎玲於奈博士が受賞して以来でした。
研究の内容を聞いても凡人の私にはよくわかりませんでしたが、
ニュートリノというものがあるということだけは、わかりました。
その研究のための施設が、奥飛騨の神岡鉱山にある「スーパーカミオカンデ」。
神岡鉱山坑内見学ツアーであるGeo Space Adventureでは、スーパーカミオカンデの施設の見学もあります。

 


小さなニュートリノは
容易に山を潜り抜ける
さて、スーパーカミオカンデがどうして神岡鉱山の中に作られたのかというと・・・
私の拙いペイントで図解すると、左図のようになります。
神岡鉱山の坑道は固い岩盤と1000mの高い山に覆われた場所にあるため、
大きな粒子をはじきやすい環境なのです。
しかし何でも通り抜けるニュートリノは、山を通り抜けてくる。
余分な粒子をはじいてニュートリノをより多く捉えるのに、適した環境だったわけです。
神岡鉱山では鉱山の特長を生かし、カミオカンデの他にも東北大学のカムランドや、
防音が必要となる研究施設なども入っています。
(カムランドはカミオカンデと同様、ニュートリノの研究装置です)

 

ちなみにニュートリノの大きさは・・・
原子を東京23区の大きさとすると、原子核はサッカーボールくらいとなり、
原子核を地球の大きさとすると、ニュートリノは米粒1粒くらいの大きさなのだそうです。
小ささのイメージはつきましたでしょうか。

 

神岡鉄道の駅で受付をすると、このようなヘルメットを渡されます。
一般の人間が入れる場所は安全なところに限られていますが、
やはり安全を心がけるにこしたことはありません。

 

神岡鉄道は漆山で下りて、それ以降はバスで坑内まで移動。
ひんやりするトンネルの中を、かなりのスピードで進んでいきます。
バスを降りると、既に坑道の中。
採掘のために掘られた、むき出しの壁に迫力を感じます。

 

1グループ20人くらいの団体となっていて、
実行委員の人に誘導されて進みます。
鉱山はどこでもそうですが、坑道は縦横無尽に掘られており、
1本道を間違うと、永遠に帰ってこられなくなる怖い場所でもあります。
神岡鉱山の坑道の総延長は、東京から福岡までの距離となるそうで、
まさに東洋一の鉱山だったというエピソードを彷彿とさせます。

 

まずは一部屋に集められて、ニュートリノのお勉強。
パワーポイントを使った紙芝居(?)で、ニュートリノとは何ぞや?を学びます。
やさしく解説されたものであっても、やはり難しいw
文系人間の私には、やはり理系の内容は難解なものでした。

 

そしていよいよカミオカンデ関連施設の見学。
カミオカンデはタンク内部に水が満たされているものなので、
ニュートリノの計測中は絶対に外から見ることができません。
タンクの上部に空間があり、そこまでなら下りていくことができます。
扉をくぐると巨大な空間が広がり、階段を使って下りていきます。

 

施設は巨大すぎて、広角レンズでも全部を写しきることはできないほどでした。
色々な機械があったり足場が組んであったり、まるで工事現場のようです。

 

カミオカンデの中は見えないので、PCを使って東京大学の先生が解説。
これはそのPCなのですが、壁紙がカミオカンデのタンク内部でした。
黄色いのは電球ではなくセンサーで、これでニュートリノを感知するのです。
カミオカンデのタンクは円柱状になっており、その全ての面にセンサーがつけられていて、
ニュートリノを感知すると、そのデータがリアルタイムで蓄積されるようになっています。

 

で、これが感知の様子を表したもの。1秒ごとくらいに、めまぐるしく画面が変化。
そのくらい沢山のニュートリノがここを通り抜けているわけです。
今こうしている間にも、天文学的数字のニュートリノが、自分の中を通過している。
自分を通り抜けていくものがあるとは、にわかには信じがたいものですが、
科学の進歩というのは、本当にすごいものです。

 

カミオカンデでは、大量の超純水を必要とします。
出来る限り不純物を除去し、H2Oの状態に近づいた水のことですが、
LSIのシリコンウエハーの洗浄などにも使われます。
あまりに何でも貪欲に取り込むため、別名ハングリーウォーターとも呼ばれる水。
それを作るための装置が、廊下にありました。
とんでもない数のフィルターが整然と並ぶ様は圧巻でありました。

 

これがスーパーカミオカンデの内部に装着されているセンサー。
かなり大きなもので、直径は30cmほどあります。
鬼太郎の目玉親父を思い出してしまいました。

 

センサーの近くには、色々な人の寄せ書きが。
いずれも、ドアなどに直接マジックで書かれています。
世界的な学者さんや、宇宙飛行士の毛利衛さん、
小泉総理大臣、今は亡き小渕元総理大臣などなど。
この施設を訪れた高名な方々の寄せ書きは、財産となっており、
数枚のドアはすでに外されて、展示用となっていました。

 

このツアーは、ニュートリノだけのツアーではありません。
神岡鉱山で実際に活躍する、重機の紹介コーナーもあります。
実はこの重機が、私は一番楽しみでした。
トンネルの奥から轟音を響かせて、巨大な機械がやってくるのは、
子供でなくてもどきどきしますね。

 

間近で2台の重機を見せてくれます。
これは天井の低い坑道の中でも動き回れる、
背丈の低いショベルカー。
背丈が低いと言っても、この大きさ!
近くに立っている人とタイヤの大きさを比べると、その大きさがわかります。

 

ちょっと見づらいけど、巨大なショベル部分が見えるでしょうか。
大人が4人、楽々乗れるくらいの大きさのショベルなのです。
みんなショベルに乗って、順番に記念撮影です。

 

こちらは、直径5cm深さ30cmの穴を、岩盤にあけることの出来る重機。
坑道ではどうしても発破が必要となりますが、そのための穴を簡単にあけます。
昔は当然、人力で穴を穿っていました。
穴をあけながら水を噴射して、先端の過熱と粉末の飛散を防止しています。

 

どちらもパワーはすごいですが、操縦性は意外にシンプル。
ギアもハイとローしかありません。
運転席に乗せてもらって、記念撮影もいたしました。子供だな、まるで。

ちなみにこれらの燃料はディーゼル。
排気と共に水を噴射し、排気に含まれる余分なものを落としているそうです。

 

こちらは実際に坑内で使われていた、トロッコです。
現在は廃車となって、見学用として使われているもの。
とても小さなもので、大人なら天井に頭がつかえそうになる。
みんな昔はこれで坑内まで通っていたのですね。

 

実際にトロッコが走っているところをみることは出来ませんが、
こんなお土産を発見、即購入。
坑道内を走るトロッコの勇姿のマウスパッド。かっこいい!
プロが写したものでしょうが、上手に撮影するものです。
お値段も200円と手頃だし、掘り出し物かも。

 

カミオカンデが有名になってしまったので、そちらばかり注目を浴びますが、
神岡鉱山の鉱山としての歴史を学ぶコーナーもあります。
現在は採掘を中止していますが、海外での採掘や金属の精製など、
現在の神岡鉱山の仕事を知ることが出来ます。

 

その他、鉱山で実際に使われていた火薬倉庫や、
神岡の山の湧き水が飲めるコーナーも。
この湧き水がカミオカンデの超純水のもととなっている水ですが、
これはフィルターにかけていないので、十分美味しい水です。
(水は純化されればされるほど、まずくなります)

 

そして最後は、売店コーナー。軽食や、おみやげ物などが売っています。
郵便局まで出張してきていました。
坑道内の気温は年間通して13〜15度。
最初のうちはいいけれど、3時間もこの中に居ると、体の芯まで冷えてきます。
ここでどうしても温かいものでも、食べたくなるわけです。

 

でも温かいものではなく、「シュートリノ」という名前に惹かれて、
冷たいシュークリームなんぞを買ってしまった私。

 

売店スペースの片隅には、鉱石探しのコーナーが。
散らばっている石の中を自由に探せるというもので、
手にとって見てみると、きらきらと反射するものを含んでいる石が確かに多い。
鉱石は、その金属を含む割合などによって採算を考えるのでしょうが、
含む率が低い石であれば、まだまだこの鉱山には、沢山ありそうです。

 

ツアーはここまで。この後バスに乗って、また漆山駅まで戻り、
神岡鉄道に乗って、奥飛騨温泉駅まで帰りました。
神岡鉄道の様子は、こちらのページでどうぞ。

 

神岡鉱山の名を私が初めて知ったのは、小学生の時に読んだ本からでした。
図書館で借りた「死の川とたたかう」という、イタイイタイ病について書かれた本。
ベッドから医師を拝む老婆の写真が表紙というこの本は、題名だけでなく、内容も子供の私には衝撃的なものでした。
骨粗鬆症がひどくなった患者達は、寝返りをうっただけで体のあちこちの骨が折れ、
まともに生活することが出来なくなりました。患者は大正時代からみられ、昭和に入ってから増加します。
原因は神岡鉱山の流した排水に含まれるカドミウムの体内蓄積と疫学的にはされながらも、
カドミウム単体での原因ではなく、+αの要因があるようだという説もあり、
厚生省が「カドミウム説」を公式見解としたのは、なんと1998年のことでした。
汚染されたのは神通川という川ですが、通るのは幸せの神様ではなく、死神となりました。
これは鉱山というよりも亜鉛の精錬の際にカドミウムが流れたものらしく、日本で最初に認定された公害病です。
迷信深い地元民に鉱物が原因の公害病をわからせるには、半端ではない忍耐が必要だったといいます。

経済や技術の発展には、悲しいことですが少なからず犠牲が伴っていることがあります。
イタイイタイ病しかり、水俣病しかり、四日市喘息しかり。
鉄道までひかれることとなった神岡の繁栄は、多くの人を養い、町に発展をもたらしました。
鉱山の廃墟の写真を見ていると、そこで暮らした人々の生き生きとした表情が見えてくるようです。
そしてその反面、このような悲しい歴史も持っているのです。どちらも神岡の歴史の一部なのです。
鉱山の繁栄、公害病の発生、そして鉱山の閉鎖、世界最先端の研究施設、鉄道の廃線。
神岡の長い長い歴史の背景には、私達の想像も及ばないくらいの激動の時代があったことを痛感した数時間でありました。

 

湯でたこの温泉めぐりへ>>湯でたこ観光局へ