【2006年7月16日(日)】
神岡鉄道と神岡鉱山ツアー 〜鉱山跡とニュートリノの里1〜
神岡鉱山は奥飛騨にあります。 発見は今から約400年前にまで遡る、とても歴史のある鉱山です。 銅、鉛、亜鉛、銀、時には金まで豊富な資源に恵まれており、一時は東洋一の鉱山と言われました。 2001年を最後に鉱石の採掘は中止され、現在に至ります。 今ではノーベル賞を受賞した小柴博士の「スーパーカミオカンデ」があることで有名です。 |
その神岡鉱山の坑内とカミオカンデ関連施設の見学を兼ねた、 「GSA(Geo Space Advanture)というイベントが、毎年開催されています。 とても人気の高いツアーで、抽選に当たらないと参加できません。 どーせ当たらないだろう、と思いながらも往復はがきを出してみたところ、 なんと初回で当選しました。びっくり。 今年は神岡鉄道が11月一杯で廃止されるので、 神岡鉄道に乗ってのGSA参加は、今年が最後となるので、ラッキーでした。 |
当日は雨で、しかも結構な降りでした。 でも地下のイベントだから、雨が降っても影響がないのが助かります。 集合場所の「奥飛騨温泉駅」に着くと、GSAの看板がありました。 私は朝一番の早い便だったのですが、もうすでに沢山の人が来ていました。 |
これが奥飛騨温泉駅。駅舎は最近造りなおされた?と思うくらい、きれいです。 ちょっとしたお座敷のようなスペースもあり、くつろげる空間。 鉄道は廃線になっても、この駅舎は別目的で残すのでしょうか。 そのくらい立派な駅舎でした。 |
GSA参加のための特別ダイヤの列車だったので、 ホームはがらんとしています。 神岡鉄道は一両編成の、かわいらしい列車。 それにあった大きさの小ぢんまりしたホームからは、 雨に煙る飛騨の山々が見えます。 この駅の裏手には喫茶店があって、GSAから帰ってきた時は、 コーヒー豆を焙煎しているいい匂いがあたりにたちこめていました。 |
これは奥飛騨温泉駅のホームにある布袋様。 神岡鉄道には駅が8つありますが、猪谷駅を除く7つの駅に、 それぞれ七福神さまが祀られています。 とても小さな祠ですがきれいに手入れされており、大切にされているのがわかります。 |
そうこうしているうちに、電車が到着しました! 神岡鉄道の電車は2輌で、「おくひだ1号」「おくひだ2号」。 どちらも一両編成です。 とても可愛らしい電車で、乗る前からワクワク。 |
中は普通の電車とちょっと違って、囲炉裏のようなスペースがあります。 これは火がつかないものですが、奥飛騨の雰囲気を感じさせてくれる、なかなかいい演出です。 囲炉裏スペース以外は、全部ボックス席。乗降口には、料金箱が置いてあります。 さて、この後神岡鉄道に揺られて「漆谷」という駅まで行くのですが、神岡鉄道の路線の半分以上はトンネルです。 勿論途中で激しく流れる濁流を見たり、深い山の谷間の幽玄ともいえる景色を眺めもしたのですが、 シャッターチャンスが難しく、ろくな写真がありませんでしたので、ここでは風景写真は載せません。 もう少しカメラの練習しなくてはいけないな、と痛感いたしました。 |
漆山駅からバスに乗り、GSAイベントの会場まで行きます。 こちらのページと連続だと、とても長くなるので、分割いたしました。 GSAの様子は、こちらのページでどうぞ。 |
さて、GSAのイベントも無事に終了し、イベント会場からバスで漆谷まで戻りました。 山の中の、本当に小さな駅。駅舎はプレハブです。 天気がよければ、みんなホームのあちこちに散らばるのでしょうが、 かなりの降雨だったため、多くがそのプレハブで雨宿りでした。 そんな中、カメラや三脚を設置して、電車を待ち構える人が数人。 私もその中に混じって、雨に濡れながら、電車の到着を待ちました。 そして間もなく、遠くから電車が徐々に近づいてきます。 |
雨に煙る山をバックにした、おくひだ号。 線路の向こうから、電車がどんどん近づいてくるのは、 いつ見ても感動します。 この飛騨特有の険しい深い山を背景にしているのが、 この電車が一番堂々と見えるように思います。 こういう景色も、もう今年の11月で見納め。 もう2度と見ることが出来ないんだ、と思うと、 初めて乗った路線にもかかわらず とても寂しい思いにかられます。 昔は鉱山の町として栄えた神岡で人々を運び、 鉱山が閉鎖されてからは濃硫酸などを運搬していました。 閉山と共に街を去った多くの人たちは神岡鉄道の廃線を どのような気持ちで受け止めたのでしょうか。 自分の人生の一部分を占めるものがなくなる寂しさは、 当事者にしかわからないものだろうと思います。 |
神岡での採掘は現在は終了していますが、 金属の加工や精錬にも高い技術や設備を持っているため、 精錬所はまだ稼動しています。 途中の停車駅から見える工場からは、白い煙が立ち昇り、 かつての鉱山の町の活気が今でも残っているように見えました。 |
「おくひだ号」の 乗車証明書 |
鉄道の廃線というのは、何故こんなにも寂しいものなのでしょうか。 自分が常に利用していたわけでもないのに、こみあげてくる感情があります。 それは由緒ある建造物などに対するのとは、また違った感情で、 自分でも何故こんなに寂しいのかを言葉にすることができません。 旧国鉄時代から3セクにうつって存続してきた神岡鉄道は、 神岡鉱山の繁栄を背景にして、日本の長い歴史を見つめ続けてきた鉄道です。 近代化の道を進む日本の縁の下の力持ちとして、ずっと走り続けてきたのです。 電車に乗ったことがない人でも、もしかしたら自分の生活につながるわずかな部分を 神岡鉄道が支えてくれていたのかもしれません。 今まで長いこと、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。 路線はなくなっても、神岡鉄道の名は、ずっと残っていくことでしょう。 そして私も一度ではありましたが、この鉄道に乗ることが出来たことを、 心から感謝したいと思います。 |