2007年5月
2007/5/31(木) なんとすでに7年目の大会らしい |
毎日をばたばたと過ごしているうちに、あっという間に明日から6月。最近は日記もサボりがちだし、毎日きちんとブログをつけている人たちはえらいなあ、と感心している今日この頃。ああ時間がないのにやりたいことは沢山あるし、どうしたらいいのさ!などと思っていたら、ニュージーランドでのかめはめ波大会などという、バカ極まりないビデオを見つけた。 なんつーか、ここまで真剣にバカやられると、すがすがしくさえ感じるね。大自然を見て、「自分の悩みなんて、ちっぽけなものなんだ」と感じるというのはよく聞くが、いい年した大人が真剣にかめはめ波やってるのを見ても、同じように感じてしまった自分って一体何。 |
2007/5/25(金) ああ情けなや、情けなや |
山口県光市の母子殺人事件が大詰めの段階。被告側の弁護団は、総勢21人というすごい人数。この弁護団、被告は心より反省しているという戦法でいくつもりだったのだが、検察に被告の手紙(友人に宛てて書いたもので、全く反省していないという内容)を出されてしまって、「殺意がなく過失致死だった」という戦術に変更したようだ。 でもねー、殺害後の強姦は「被害者を生き返らせるための儀式だった」とまで言われると、この弁護団は被告以上に狂っているとしか思えないわけでして・・・・。 これがあからさまに「おバカ」な人たちの苦し紛れの言い訳だったらまだしも、弁護士ですからね。この人たちがみんな司法試験をパスしてきたとは思えん。日本の資格試験の最難関と言われる司法試験に合格したんだから、文句なく頭はいい人たちのはず。そんな秀才達が21人集まって考えた言い訳がこれですか・・・と思うと、もー私なんてたこなのに、あまりの情けなさに涙がちょちょぎれますです。 今更この人たちに、まともな感性を求めようとは思わない。そんなことは、はなっから諦めた。しかしなー、人格と能力というのは別物だからな。弁護士としての能力すらも、かなり疑わしい状態となっているのを恥ずかしげもなく全国民の前に披露してしまうというのは、百害あって一利なしのように思えるが。そういう判断力すらも、なくなってしまったのかもしれないな。 何の落ち度もない被害者達を残忍な方法で死に至らしめた被告にここまで肩入れできるというのは、「死刑反対」のイデオロギーあってこそだろう。しかしそれではただの政治運動であって、弁護士の仕事ではないのではないか。この弁護士達は、真剣にこの事件に向き合ってはいない。だからこそ、こんな程度の言い訳しか思いつかないのだと、私のようなバカにバカにされても仕方ないね。 |
2007/5/24(木) 鯖の所在地 |
「画像ちゃんねる」管理者の逮捕をきっかけにして、どんどん画像掲示板などが閉鎖されているようだ。まーね、削除に応じていても逮捕されてしまうんだから、びびって自主閉鎖もやむを得まい。 しかし、インターネットという仮想空間なのに、「サーバーの所在地」で法の適応が決まるというのはおもしろいというか何というか。それにアップローダに画像を投稿した人への罰則ではなく、管理者逮捕というのもどういうものか。これは裁判所がどのような判断を下すのかが興味深い。 「日本で見ることが出来るか出来ないか」ではなく、「日本にサーバーがあるかないか」というのがポイントだという判断が下されたとしたら、海外のサーバーを使用すればいいだけだし、結局はいたちごっこ。海外鯖の利用ならOKとなれば、外国人も参入してくるはず。もう歯止めは利かない。 最終的には2ちゃんねるがターゲットなんだろうけど、今更2ちゃんつぶしてもね。2ちゃんのような「形式」が作られたことが重要なんであって、今2ちゃんがなくなっても、皆はブログなどで同じような落書きを続けていくことだろう。つまりは、もう止められない、と。 海外鯖に日本の法律が及ばないという前提でやっている葵龍男のサイトのような例もあるので、今後は海外に住む日本人がレンタル鯖の商売を始めると儲かるかもね。 |
2007/5/21(月) 教育 |
日本も9月入学を通常として、飛び級なども出来るようにして…というバカな案を国が検討しているらしい。やめろ、やめろ。日本人には、飛び級とか合わないって。そんな制度作らなくても、天才は生まれてくるもんだって。ずば抜けた才能というのは、普通の教育していても開花するもんだ。 こんな案は、日本をダメにしようとしているとしか思えない。学校というのは勉強するというだけでなく、社会性を学ぶ場所としての意味合いのほうが大きいんじゃないの?集団の中に埋没することによって大きな力を発揮することの多い日本人に、飛び級みたいな目立つような制度は逆効果だと思うが、どうかなあ。 大体ね、普通の人というのは凡人なのだから、良い意味での「凡人の生活」しか出来ないのですよ。そして、それでいい。ただ日本は、国民の知識レベルの平均値が高かったために、ここまで発展できた。それなのにゆとり教育という名の愚民化政策で国民の能力を落として、ほんの一握りの天才肌の人間のためのシステムに金をかけるとは。それだけじゃないぞ、9月入学にしたら、外国の留学生達がどんどん入ってくるだけ。何一つ、日本のためにはならない。 教育とは、平凡への強制だ。出来るだけ平凡な人間を作るようにして、それでいて全体の知識レベルを上げるようにするのが一番良い。とにかくすぐにゆとり教育はやめたほうがいい。私は詰め込み世代だったが、それでもここまでバカであります。人間、どんどん忘れていくものなんで、頭の柔らかいうちに詰め込んでおいたほうがよい。応用は後からついてくる。 今の教育を変えていくというのには賛成だけど、こういう変え方だったら反対だなあ。でも国民はバカのほうが扱いやすいもんね。そういうことなのかもしれないね。 |
2007/5/20(日) IT産業 |
IT系の仕事とは、第○次産業となるのか?ということを職場で雑談していた。私の仕事の指導者曰く「やはり第3次産業なのではないか」と。第1次では勿論ないし、大量生産するわけでもないから2次でもない。顧客の注文に応じて設計したりするのだから(システムにしてもソフトにしても)、サービス業と考えるのが妥当だろうというのが理由だと。なるほどなあ。 考えてみれば、この分類にどのように当てはめてよいのか不明な仕事って沢山あるな。たとえば学者とか。 なんかねー、IT関係って第4次産業なんじゃないかと思うんだがどうだろうか。今までの仕事とは、ちょっと一線引かれているような気がする。従来のどの仕事とも違う。 誰かが「ITはパンドラの箱」って言っていたのを思い出す。私はITを否定はしないが、ITというものがこの世で大手を振るうようになってから、人間は忙しくなりすぎたようだ。便利になったのは事実だが、ITそのものに振り回されている。でも今更過去には戻れない。 |
2007/5/18(金) 車 |
トヨタが国内での販売が振るわないとかで、国内で車が売れるにはどうしたらよいか、本気でアイデアを募集するそうだ。へートヨタ、売り上げ落ちてたんだ。でも、トヨタの売り上げ減少は国内での自動車販売総数の下げ幅よりも小さかったってことは、全体的に売れなくなってきているってことじゃん。別にトヨタだけの問題じゃないでしょ。 これだけ収入の格差が広がってきているんだし(本当の格差社会ってのは収入の問題だけではない、と私は思っているが)、都市部では車がなくても普通に生活できるし、車というものがステイタスだった時代はもう終わったし。色々な原因があると思うけど、収入格差に関しては、会長の奥田が「格差は悪くない」って言ってたんだから仕方ないよね。底辺の人間は、車なんか一生買えないわけです。そういう人に売りつけることは出来ないので、それだけで市場はぐっと縮まりますね。仕方ないですね、だって会長が(以下略 なぜかトヨタって、槍玉にあげられるよね。期間工の厳しい現状にしても、下請け叩きにしても、ニッサンやホンダよりも、とにかくトヨタ。労働条件なんかはそれ程変わらないように思えるけど(詳しいことはわからんが)、常にトヨタの名前があがるという点に、問題があるのでは。もうトヨタって、そういうイメージになってしまっているというね。 自分の銭のためには他の犠牲は省みないという企業姿勢は、どこに行っても嫌われてしまう。営利企業なんだから、金儲けに精出して悪かろうはずはないが、他の犠牲が大きすぎる。 まあ車を売るためのアイデアが欲しいとのことなので、私も少々考えてみたりして。これは!と思うものがあったら、どーぞ採用開発してくださいまし。 ・リッター25キロ以上走れる車。1500cc程度で十分。 ・20年くらいは、楽勝でもつ車。その間、5〜6年に一度の、塗装サービスつき。 ・水で走る。海水でもいい。 |
2007/5/15(火) 赤ちゃんポスト、第1号は3歳児 |
いつかこういうことは起こるだろうと思っていたけれど、まさか開始後2〜3時間でこんなことが起こるとは。関係者は戸惑っているらしいが、これだけのシステムを立ち上げたのだから、さぞかし準備は周到にやっていたはずだよね?まさか、こういう事態を想定していなかったというわけではないよね? 子供をポストに入れる親に、全くペナルティがないというのが問題だ、と以前書いたが、どうも全ての児について、必ず警察に連絡することになっているらしい。誘拐の可能性なども、あるからだっていうけど、今回は完全な育児放棄なので、警察が身元を調べてくれることだろう。 私は個人的には赤ちゃんポストというのは反対なのだが、真夏にパチ屋の駐車場で茹ってしまう子供のニュースを聞いたりすると、必要悪なのかな・・・と思ったりもする。3歳児の手を引いて、他の県からわざわざやって来てポストに押し込んで帰る親に育てられるのと施設で育てられるのと、どちらがその子にとって幸せなのかは、私には判断できない。 昔と今とでは、捨て子をする親が変わってきている。昔はおくるみに包んで、一緒になけなしのオムツやミルクなどが置いてあったというが、それって「みんな貧乏が悪いんや」ということだよね。今は「面倒」とか「いらない」とかの理由で捨ててしまったり虐待したりする。負の連鎖は、どちらがより大きいのだろうか。 |
2007/5/14(月) 長湯温泉 |
九州の長湯温泉は、まだ行ったことがない。このたび「日本一の炭酸泉」というコピーを外すことになったらしい。webで数値的な裏づけがない、と指摘されていたと。更に、公正取引委員会や長湯温泉に、そのweb管理者が撤回を求めたという。 長湯温泉のある宿の女将さんのブログを見てみると、「早速指導に従いました」とあり、何をしたのかと思ったら、宿の看板の中の「日本一の炭酸泉」の文字を外したとのことだ。そして「表示は変わっても、長湯のお湯は変わらない」と書かれていた。 なんだかね、読んでいて悲しくなっちゃいました。いーじゃん、日本一がいくつあっても。自称日本一のところなんて、他にいくらでもあるし。大体、「日本一の炭酸泉」って、濃度とも湧出量とも宿数とも書かれていないのですから、数値的な裏づけがなくても当然でしょう。 まあね、訴えていたブログ主の言いたいこともわからないではないですよ。実際に炭酸泉の基準を満たしていなかったというのだから。でも・・・でもね。 性格の悪さでは他に引けをとらない私が言うのもなんですが、優しさが足りないですよ。これは白骨温泉や偽温泉とは、全く方向性の違う問題です。正しいことだったら、何言ってもOKというものではない。言い方の問題もあるし。 ま、私などは「三大○○」とか「(自称)日本一の○○」なんてのは、殆どの場合は「言ったもん勝ち」だと思っていますので。しかし、世知辛い世の中になりましたな。 |
2007/5/13(日) お笑いと知識人と芸術家と |
私はテレビはリアルタイムでみることは殆どなく、録画したものを時間のある時にみる。で、いつ放送していたかわからないまま観ているのだが、今日「雑学王」なる番組をたまたま観た。 伊集院あたりはともかく、ほしのあきや西川史子センセなど、雑学に殆ど関係なさそうな人たちが沢山出ているのは何故?松尾貴志やくりいむ上田が出ていないのは何故?まあ、スケジュールの都合とか予算とか、色々あったんだろうか。 クイズの内容などはさておき、この番組で最も目に付いたのは、品川だなあ。品川、もう芸人いやになってるようだ。「知識人」としてみて欲しいというのが、態度に出ちゃってるもん。なんか必死な感じがしたなあ、気の毒なほどに。 くりいむしちゅ〜のようにMCの仕事くらいに納めたいと思ってるのかな。大勢のゲストの1人として、何かネタをやらなければならない立場からは、もう卒業したがっているのかも。最終的には鶴太郎あたりの位置にきたいんだろうな。人生の方向性としては、鶴太郎、藤井フミヤといったところか。でもなあ、MCは無理な気がする。品川がMCやってるところ想像しても、華がないもん。盛り上がらなさそうだし。 そもそも芸人が本来の芸以外のことが出来ても、もともとの芸の評価にプラスにはならないように思う。鶴太郎なんて、お笑いをやめてしまった。ゲージツ家でいくことにしたんだろうが、鶴太郎の絵の評価というものが、もともと「芸人が描いたもの」という下駄をはかせてもらった状態での評価だったということは、わかっているのだろうか?全く名の知られていない人間が同じ絵を描いても、あれほどの宣伝効果はなかっただろうし、売れなかっただろう。少なくとも今の鶴太郎のような扱いはしてもらえなかったに違いない。 品川も同じだ。早くもお笑い芸人やめたがっているようだが、よく考えたほうがいいぞ。それに、お笑い芸人なのに、お笑いというものを「知識人」や「芸術家」よりも格下に見ていることも問題だ。お笑いをなめてるとしか思えん。でも和田アキ子の「個人授業」でも思い切りダメだしされてたし(和田に「すごくつまんない」「あんたの素がイヤ」と言われていた)、やめるのならば、早いほうがいいかもね。 |
2007/5/12(土) お祭り日和 | |
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いや〜、忙しくて日記どころではない状態だった。色々と面白いニュースはあったのだが、PCの前に座って、書く暇がない。 忙しい忙しいと言いながらもしっかりと遊んではいるわけで、土曜日に代々木公園で行われた「タイフェスティバル」に行ってきた。タイという国には行ったこともないし、特別な興味を惹かれたわけでもなかったんだが、なんとなく行ってみた。 普段休日はPCの前に座って過ごすか、家事を片付けるか、どこか遠くへ遊びに行くかの3択が殆ど。この日、代々木公園は大勢の家族連れで賑わっており、みんな弁当広げたりしてのんびりとくつろいでいた。ああ、こんな休日の過ごし方もあるんだなあと、考えさせられた。 |
天気が良かったせいか、すごい人だかり。タイ料理の屋台のようなものが沢山並んでいるのだが、どれもすごい行列だった。私はもともと辛いものが苦手なので、人ごみのせいも手伝ってかなり躊躇。 しかしタイというのは人気があるのだねえ。東南アジアの中でも、とりわけ人気の高い国だと思う。職場の人間でも、タイに行ったことがあるという人間は多い。で、リピーターにもなっている。 |
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料理よりも果物のほうが気になる私。南国の果物は美味しいからな〜。これは並んででも食うぞ!と決めていたのが「ドリアン」。ついでに「ドラゴンフルーツ」(写真左)も購入。どちらも冷凍だった。 ドリアンは思ったよりも匂わず、「な〜んだ、どうってことないじゃん。匂いの少ないチーズみたいなもんじゃん」とパクパク食べていたのだが・・・冷凍状態が溶け始め、生身に戻りかけたドリアンを口に含むと「!」。 いや〜、もういいわ、ドリアンは。一生食べなくてもいい。なんですか、あの口に広がる生ゴミの匂いは。飲み込めずに吐き出すところでしたよ。 好き嫌いが人間にあるのは当然のことだが、私はダメだあ。自信があっただけに、情けないっす。 |
でもやっぱりタイを代表する果物だけあって、ドリアンは山積み。近づくにつれて、あの匂いが強くなってくるw きっと納豆もこのように思われているんだろーな。 左の写真は生ドリアン丸ごと山積み、右の写真は冷凍ドリアンの山。どっちも私には恐怖の対象ですだ。 |
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これはすごいと思ったのは、カービングという「飾切り」。タイの王室料理では、このような野菜の飾切りを沢山あしらう。花などが多いのだがこれが見事で、大根なんぞもあっという間に白薔薇に早変わり。 ネットで写真くらいは見たことがあったけど、実物を見るのは初めてだったので、大感激でした。説明してくださったお兄さんも、話している間も手を動かしながら、どんどんお花を作っていました。 中国もよく野菜の飾切りやるけど、タイのとは違う。なんつーか、タイのほうが滑らかで、カーブが多いような気がする。いずれにしても、食べてしまうのが勿体無くなるくらいの出来映えでした。 |
さて銀座を経由して日本橋まで来たところ、丁度三越前で神田祭の神輿を沢山発見。そういやここは神田祭の端っこに当たるので、ここからスタートなのかな。 すごい人出で、皆カメラを構えてた。丁度観光で来ていたらしい欧米人、大喜び。 今の季節は、お祭りにはちょうどいいかもしれない。気候的に。真夏の祭りは本当に暑くて大変で、深川の祭りなどは、水をかけながら行う。やるほうも見るほうも大変だ。今頃ならば、祭りの半被で神輿担いで、丁度いいのでは。 |
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お神楽もお神輿と一緒に移動。実は私は祭りというのは人ごみが多すぎて苦手なのだが、まあたまに見るのはいいもんだ。やはり伝統というのは、守らなければならないと、年齢が高くなるにつれて、しみじみと感じるようになったせいもある。 このような行事を続けていくというのは、大変だと思う。特に神田祭の範囲などは、もう住民が少なくなって、会社単位での参加が多くなっているだろうし。 日本の伝統行事を守ってくれている方々に、心から感謝したいと思ったのでありました。 |
2007/5/5(土) 10年以上役満なしです | |
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しばらく人間相手に麻雀していないなあ。もっぱらDSliteの「麻雀三国志」か、ネットの「東南荘」だもの。 ゲームでの麻雀は楽なんだけど、こればっかりやっていると、点数計算覚えないんだよね。もともと点数計算できなくて、他人にまかせっきりだったからなあ。ああいうのは若いうちに覚えないとダメだなあ。今から覚える気にもならない。よって、ゲームに走る。で、覚えない。この繰り返し。 先日もDSで麻雀やっていたら、「九種九牌」になった。最初「キュウシュキュウハイ?なんだっけ、それって?もしかして、役満?」なんて思ってしまったんだが、ただ単に流せるというだけだったのね・・・こんなことまで忘れてるとは、情けない。人間相手だったら、絶対に負けてるな。 やっぱり自分はゲーム程度でチョコチョコやっているのが性にあっているようです。ゲームだと勝負早いし。ギャンブル嫌いな私には、丁度いいかも。 |
2007/5/2(水) 散文詩と歌 | |
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阪神大震災の日の前後には「千の風になって」という歌を盛んに聴いた。テレビやラジオなどで、よく流れていたので、耳にしていた。 もともとこの歌は、外国の作者不詳の散文詩を新井満氏がリライトし、曲をつけたもの。知人の家族の死の際に故人を偲ぶ文集が作られ、その中に訳詩が紹介されていたのだという。 これと同じように外国の散文詩から作られた歌に、「いつかある日」がある。7000m級の登山中消息を絶った若い登山家の書きとめた文章を元にしている。結構古い歌で、私が初めてこの歌を聴いたのは、小学校にあがるかあがらないかの頃だった。「いつかある日 山で死んだら」とダイレクトな歌詞で始まる歌だが、優しいメロディーの効果もあってか、悲しさを感じない不思議な曲だなと思ったのを覚えている。 日本人は、自分に合うように物を変化させるのがうまい。しかもそれは工業製品だけでなく、こういう分野でもそうなのだなと、これらの歌を聴いていると改めて感じる。元の詩からも感動を得られるのだろうが、これらの歌詞のほうが日本人の感覚にあうように書かれているせいだろうか、どうしても歌のほうが感情移入しやすい。 それに歌というのは散文詩よりも覚えやすい。歌っているうちに、なぜか覚えてしまうものだ。散文詩を諳んじるという習慣が現代人にはないし、歌のほうが覚えやすいのは当然だろう。 この歌はどちらも、死んだ人が生きている人に対して語りかけるというものだ。その内容は、とにかくやさしく、あたたかい。死を覚悟し、心の動揺を乗り越えた人たちだけが、こういう言葉を発せられるのだろう。自分はかなり小心者なので、こういう境地に達することができるかどうかはわからないが、いつか必ずやって来るいざという時には、このようにありたいものだと思っている。 |
2007/5/1(火) 仕事における品格 |
先日NHKで、「高速バス価格競争の裏側」という番組をやっていた。たまたま見ていたのだが、数年前に見た「時間を追う男達 トラック列島3万キロ」と同じレベルの大きさで違うベクトルのショックを受けた。 高速バスや観光バスが規制緩和の煽りを受けて、激しい価格競争(殆どダンピング)に晒されているのは知っていた。そのせいで、バス会社の従業員達の労働に、とんでもなく厳しいしわ寄せがきているのも知っていた。そのこと自体には胸が痛むが、ショックを受けたのはそのことではなく、下請けの会社やその従業員たちを劣悪な労働に追い込んでおきながら、そのことに痛痒を全く感じない親会社の社長の人格だった。 自分の家に月に3日しか帰れず、たいした給料ももらえず、人間の基本欲求の1つである睡眠欲を限界を超えるまで我慢させられ、1歩間違えれば死が待っているという状況の中で働くバスドライバーたち。彼らのそんな状況を知りながら、そのことに何の責任感も感じず、自分の利益のことしか考えない親会社の若い社長。その社長は「安全性とコスト削減は両立できる」「利益が上がらないのは努力不足」という持論だそうで、そのことを堂々とテレビでも言っていた。 昔から「安かろう悪かろう」という言葉があるのを、この人は知らんのかね?安物というのは、所詮安物だ。値下げというのは、自分の価値を下げる行為だということに、何故気づかない。この会社、インターネットで顧客に乗ったバスについてアンケートを行うそうだが、たかだか安い利用料金のみに釣られてきた程度のお客のいうことなんて、どの程度あてになるというのか。番組の中で、空席が目立つバスの運賃を400円下げたら空席が埋まったといっていたが、珈琲1杯の値下げで寄ってくる客ですか、そうですか。 物には適正な値段がある。私も知らず知らずの間に安い価格に慣れさせられているが、その製品が出来上がるまでのコストというのを考えてみると、「そんなはずはない」と思うこともしばしばだ。安けりゃいいってもんではない。たとえ、同じ製品であっても、「適正な価格」が一番いいに決まっている。不当に安く抑えようとすると、この高速バスの価格競争のように、どこかに歪が出てくる。 安い製品を買って結果それに多少の不良があっても、たいしたことのないものもあるだろう。しかし高速バスとなると、そういうわけにはいかない。先日も死亡事故があったばかりなのに、これ以上人が死なないとわからないのだろうか。 お金は確かに大切だろう。だから、安い製品を買いたくなる気持ちは誰にでもある。でも、自分の安全を脅かしてまでも大事にしなければならない金などあるだろうか。もしかしたら死んでしまうかもしれないというのに。 この親会社の若い社長も、とにかく会社を大きくして利潤を追求することにしか関心がないようだ。金のことしか考えていない。そのために、とても品性が下劣になっている。自分では「能力に溢れた若社長」という気でいるのだろうが、あの番組を見ている限りではそうは見えなかった。 自分の仕事を振り返って見た時に、この人は恥ずかしくないのだろうか。人間には、絶対にやってはいけないことがある。他人を犠牲にして、他人の安全を不確実なものにして、半端でない人たちの犠牲の上に成り立っている会社。 自分のやっていることを恥じるがいい。 |