2006年9月
2006/9/30(土) 「えびす湯」さん、どうもありがとう | |
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私が家の風呂に入らなくなってから数年たつ。どうしているのかというと、あちこちの銭湯をはしごしているのである。 そんな私の、お気に入りだった銭湯の1軒が、本日廃業した。 ここはスチームサウナも無料で提供してくれており、普通のお湯のはずなのに、なぜかとてもよく温まるお湯だった。 真冬の寒い時期ここで芯まで温まると、家に帰るまでの道のりは寒風がむしろ気持ちよく感じたりしていたものだ。 家からちょっと離れているので、日常的に通っていたわけではないが、たまに散歩がてら入りに行っていた。 営業最終日、最後の一風呂を浴びに行ってきた。 |
天井のファンも懐かしい感じである。やはり格天井は、銭湯らしくていいな。 ゆうに2階分はある、高い天井。ぴかぴかに磨かれた床。 |
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一見ごくごく普通の銭湯なのだが、ここの最大の見所は、見事なタイル絵。 この浴槽の奥の鯉もそうなのだが、全て九谷焼。発色がよく、状態もとてもいい。 50年たっているとは思えないほど、今も色鮮やか。 いつもお湯に浸かりながら、このタイルを眺めていた。とにかくきれいなのである。 廃業した後も、このタイルは何らかの形で残したほうがいいのではないかと思った。 それでは、この見事なタイル絵ギャラリーをどうぞ。 |
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鯉の絵以外は、全て 男湯と女湯の仕切りの壁に。 それぞれ3枚ずつ並んでいる。 男湯は花咲爺さん、 女湯は桃太郎。 |
浴室にも富士山のペンキ絵があるのだが、実は小さな中庭に面した休憩スペースにも このように富士山がある。この下には池があって、金魚が泳いでいる。 先日も台東区入谷の光月湯が廃業となり、とても寂しく思っていた。 やはり値上げの影響などもあるのだろうか。今後もあちこちで廃業が続くのだろうか。 時代の流れで仕方のないこととはいえ、このようないいお風呂がなくなってしまうのは、残念である。 ご主人もおかみさんも、今まで長い間お疲れ様でした。 そして、時々ですがのんびりといいお風呂に入れていただいて、本当にありがとうございました。 |
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2006/9/29(金) コイヘルペス、ぱらりらぱらりら〜 |
殺人未遂と監禁の疑いで5人逮捕 (←そのうち消えるかも) 熊本東署は28日までに、住所不定、無職塚本誠容疑者(30)、熊本市御幸笛田5丁目、スナックアルバイト勝尾哲全(よし・はる)容疑者(22)ら県下最大の暴走族グループ 「コイヘルペス」 の計5人を殺人未遂と監禁の疑いで逮捕・再逮捕した。大筋で容疑を認めているという。(asahi.com熊本 2006年9月29日更新 より引用) コイヘルペス!!!なんという名前をつけるのでしょう、この暴走族は。このネーミングのインパクトが強すぎて、殺人未遂とか車で数回轢いたとか監禁したとか、そういったものが全て消え去ってしまい、笑いしか出ないニュースに成り果てていることは、被害者にとっては非常に不幸な出来事だろう。でもこれねー、無理だよね、笑うなって言っても。だってコイヘルペスだよ、コイヘルペス。誰かが掲示板のレスで「そのうちエキノコックスなんてのも出てきそう」って書いてたけど、そっちのほうがまだましだ。 どうしてこんな名前にしたんだろうなあ。確かにインパクトは強いよ、でもね・・・この名前で熊本県最大の暴走族ってんだから、また驚く。まあ暴走族なんて普通の人は入らないから、誰もそのおかしさに気づかなかったのかな。 ちょっと裁判傍聴に行きたい気もするけど、熊本では遠すぎる。でも、しーんと静まり返った法廷で、検事や裁判官が「コイヘルペス」って言うたびに笑ってしまいそうだから、かえってよかったかも。 |
2006/9/28(木) 一番不幸なのは |
「○○ちゃんを救う会」関連の話題が盛り上がっている。ネット住人達の調査力は驚くべきもので、あっという間に資産やらバックについている団体の方向性まで、おおよそのところがわかってきてしまっている。父ちゃんのテンピンマージャンまでばれてるぞ。ネットって、怖いね〜。 私はこのような募金には、金を出したことがない。阪神大震災や新潟地震には出しても、こういった難病の○○ちゃんを救おう!というのは、はっきりいって苦手である。 特に最近はそういった会が乱立気味だが、会計が不明瞭だとか、実は大金持ちなのに身銭を切らずに全て寄付でまかなおうとしているとか、そんな話ばかり聞く。その詳細を見る限り、これは募金詐欺だと言われても仕方のない部分はあるだろう。 では詐欺ではない募金であれば進んで金を出すのかと言われると、それでもやはり割り切れないものがある。「××という難病」にかかっているのは、その子一人ではない。他にも沢山同じ状況の人間がいるのに、ある一人のためだけにお金を出すというのは、なにかがひっかかる。同じ状況のAちゃんとBちゃんがいるのに、片方だけが寄付をもらって移植を受けられるというのは、どうもしっくりこない。移植は主にアメリカで行うようだが、アメリカにだって移植を待っている人間は沢山いる。まさか金の力で、その順番を早めてもらっているなんてことはあるまいな、なんて考えてしまったりもする。 子供の臓器移植には、同じくらいの年齢の子供の死が必要なのだが、自分だったら自分の子供の臓器を移植に提供できるのかと考えると、やはり無理だ。外国の宗教観はよくわからないが、私にはやはり出来ない。子供の移植手術に莫大な金がかかるのは日本での移植が不可能だからだということで、子供がドナーになれるよう法整備を!という話もよく出るが、わが子をドナーに出来る親というのは日本では少ないと思うし、人身売買の恐れがわずかでもあるならば、やはり現行のままいくほうがいいだろう。早いとこ、人工臓器が作れるようになれば、こういった問題もなくなるのだが。 「難病の○○ちゃん、このままではあと1年しかもたない」 確かに、かわいそうだ。気の毒だ。では、この子が一番気の毒なのだろうか。誰よりも優先して救わなければならないほどに。これが50歳代の人間だったら、子供より気の毒ではないという人もいるだろうが(実際大人の患者は子供よりも募金の集まりがよくないようだ)、私にはそうは思えない。どちらも同じだ。では同じ子供で考えると、先日義父に虐待の末殺されてしまった幼い姉妹と比べたら、どちらの不幸が大きいのか。 勿論病気の子供が助かれば、それはよかったと思うだろう。でも、どうしても「なぜこの子だけ」という思いは、ぬぐいきれない。このような難病の人を救う公的な団体があって、そこへの寄付ならば考えるが、身内以外の特定の個人だけを救いたいという気持ちは持ち合わせていない。通勤途中に募金を見かけることがあったとしたら、100円くらいは入れるかもしれないが、わざわざ銀行へ行って手数料払ってお札単位の振込みをする気にはならないというのが本心だ。 しかしながら、会計が不明瞭な会が多すぎる。塵も積もれば山で、どの会も数千万円レベルの金を入手しているのに、ろくな会計報告を出していない。余剰金は一体どうしたのだろうか。ちゃんと次の子供にまわしているんだろうな。余ってしまって今更寄付者に返せないので頂いておきますというのなら、きちんと税務署に言わないといけないのでは。こんな杜撰な会計報告では、税務署は許してくれないと思うのだが。 このようなことが続くと、たとえ100円だって出したくはなくなる。気の毒なのは、周囲の大人のこういった振る舞いの犠牲になる病気の子供達と、まともなボランティア・慈善団体である。 |
2006/9/27(水) 英語よりも日本語のほうが大事 |
文部科学相が「日本語を教えるのが先、小学校から英語の必修は不要」との見解を示したそうだ。人によって色々と考えもあろうが、私はこの考えに賛成だ。まずは日本語を徹底して教えたほうがいいだろう。 漢字、カタカナ、平仮名を駆使する日本語は、日本人と言えど難しいと感じることがある。特に漢字は音読み(呉、漢)、訓読み、当て字などもあって、バラエティに富んでいる。これを自由自在に操れるというのは、なかなかの能力を必要とするのではないか。知らず知らずのうちにそういった能力を身につけていけるというのは、日本の特権でもあるように思う。 そもそも「何語を話すか」が重要なのではなく、「何を話すか」が重要なのだ。日本語をしっかりと教えておかないと、日本語でものを考えることが難しくなる。日本語の能力をつけるべき時期に英語なんかを混ぜたら、どっちも中途半端になりはしないか。 英語の習いはじめのころは、日本語で文章を考えて、それを英訳するという作業工程を誰でもとるはずだ。しかし慣れてくると、直接英語で考えるようになってくる。そんなことを小さな子供にさせるというのは、あまり賛成できない。ある程度しっかりと日本語で自分の考えをまとめることが出来るようになってからでも、英語教育は遅くはないと、個人的には思っている。 一つの言語を習得するというのは大変なことだ。6年教育の開始を早めたからと言って、みんなが英語を話せるようになるのかというと、ならないだろう。マスターするには、それなりの熱意と努力が必要なので、意欲のある人は余分に勉強したほうが効率がよい。経済効果も、そのほうが高いはずだ。 私は中学と高校で普通の英語の授業を受けただけなので、大して英語がわかるわけではない。それでも、フランス語の機内放送を聞いた時には何一つわからなかったのに、英語の機内放送だとわずかだが理解できた。日本の6年間の英語教育が全く役にたっていないという批判はよく聞くが、そうでもないのではないか。実際買い物や道を尋ねる程度なら、全く困らなかったし。高等な英語技術を駆使しなければならない状況にない私のような人間にとって、英語はその程度の意味しかない。そして日本には、私程度の人間のほうが、英語を必要としている人たちよりも、圧倒的に多いように思う。 |
2006/9/25(月) 丹波哲郎氏、死去 |
人の死を聞くたびに、月日の流れを感じる。丹波氏といえば、「Gメン’75」を連想する人が多かろうが、私はやはり「砂の器」だ。なにせ月に一度は観ているので、その都度若かりし日の丹波氏を眺めていることになる。 「砂の器」で丹波氏が演じた刑事の役は、緒方拳もやりたがっていたらしい。この映画は誰が主役なのかよくわからない映画で、丹波氏演じる刑事役が主役もいえるし、脇役ともいえるように見える。今となってはかなり豪華な顔ぶれで、重要な役どころの加藤嘉氏もすでにこの世の人ではない。もうこんな贅沢な映画は作れないんだろうな。 先日テレビの旅番組で丹波氏を見かけたが、随分年をとったな、と感じていた。享年84歳。ご冥福をお祈りいたします。 |
2006/9/24(日) 靴磨きは、やはり楽しい |
本日は車を修理に出しに行った。修理といっても、ドアミラーの動きがぎこちなくなっただけなので、一日で終了した。旅行から帰ってきて、そのままの車を持っていったのだが、引き取りにいくと、とてもきれいに・・・あまりの汚さに、ディーラーさんが洗車してくださった様子。あ〜ごめんよ(ToT)、反省しますです。そしてありがとう。 さて、最近とにかく時間がないのだが、どうしてだろう?と考えてみた。一日のうち、一時間以上を占めているものは何か?と考えると、PCだということになった。 よくよく考えてみると、PCに熱心になる以前は、もっと家の細々としたことまで出来ていたような気がする。どうしてもネットなどで時間を使ってしまうので、自分の時間が不足してしまうようだ。そこで、今日は思い切って、家の用事が終了するまで、PCに触らないことにした。 そしたらどうだろう、はかどるはかどる。掃除洗濯買い物靴磨きまで、かなりのスピードですんでしまった。これには我ながらびっくりした。自分のすべき用事を優先させて、楽しみのためのPCはある程度後回しにするといいのだろうが、なかなかそういうわけにもいかない。テレビもあまり見ず、新聞も読まない私にとって、ネットの情報というのは結構大事だったりするので。まあ、なんでもほどほどにということか。自分の時間の使い方をよく考えないといけないなと実感した。 ともかく、今日久しぶりに靴磨きが出来たのはよかった。実は私は靴磨きが大好きだ。自分なりにこだわりもあり、素人ながらなかなかの腕前だと自負している。虫干しがてら全部の靴の汚れを落とし、ミンクオイルや蜜蝋入りのクリームなどで磨き上げるのには時間がかかったが、ぴかぴかの靴が並んでいるのを見るのは楽しい。 そしてミンクオイルの匂いは、所謂「アブラ臭」という温泉の匂いにそっくりなので、先日訪れた青森の温泉を思い出して懐かしくなった。あー入りてー。 |
2006/9/23(土) どこの夕日が美しいか | |
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先日帰宅直前にドアの前から見た、たまらなく美しい夕日の写真である。 美しい夕日を売りにしている場所というのは数多くあれど、どこが一番美しいのかは、天候や状況によって異なるので、なんとも言えない。 それでも私は、見慣れた自分の家からの夕日が、たまらなく好きだ。ビルや木々をシルエットにして空が赤く染まっていく様は、まるで映画のワンシーンのように思える。見慣れた景色が更に美しく見え、とても寛大な気持ちになれる。 旅行に行ってきれいな景色はよく見るのだが、見た時と別の時期に見比べることが難しいのが難点だ。その時の気持ちや天気によって、見え方感じ方はかなり違うだろうに。 でも、愛着をもっている景色が、自分にとっては一番なのだと最近つくづく思う。自分の平凡な日常を、大切にしなければならないなと感じる今日この頃。あー、自分も年だな。 |
2006/9/22(金) プライドのない人たち |
朝からずっと日の丸・君が代訴訟のことで、ニュース欄も掲示板も盛り上がっている。判決内容はさておいて、私が一番わからないのが、この教師達の自尊心だ。 訴訟を起こさなければならないほど、日の丸と君が代を忌み嫌うなら、なぜ親方日の丸に雇われているのか?東京都だから日の丸ではない、などという屁理屈を聞くつもりはない。国の下にある自治体なのだから、国からの命に従うのは当然なのであって、その自治体から金をもらっているというプライドのなさが理解できないのだ。何故辞めない?さっさと辞めてしまえ、そんな職場は。 自分たちの思想信条にそこまでこだわりがあるのなら、公務員の給料などはした金であろう。人間には金では買えないものがある。あんたたちにとっては、日の丸・君が代の強制こそが、それにあたるのではないのか。なぜいつまでも、公務員の職にしがみついているのだ。さっさと辞めて、私立の学校に就職しなおすべし。さぞかし優秀な先生方なんだろうから、きっと再就職に困ることもなかろう。 思想の強制をするような団体の、汚い金は受け取りません!くらいのことが言えなくてどうする。それが言えないのなら、あんたたちの信条なんてのは、その給金以下の価値しかないってことだ。 |
2006/9/21(木) 風邪をひきました |
熱があって、頭が痛いです・・・旅の疲れって、帰ってきてから少したった頃に出てくるんだよね、必ず。 おかげで一日中眠くて仕方がない。書かなきゃならない仕事も沢山たまっているのに、全然進みませんです。 |
2006/9/19(火) 帰ってくれば、宿題山積み |
北東北の旅行から帰ってきた。大変楽しい旅であったわけなのだが、帰ってきてから、選択やらお土産の選別やらで、何かと忙しい。 一番大変なのが、サイトの手入れ。更新しなきゃならないし、ネタは山ほどあるのに作業が追いつかない。あー、時間がほしー。 焦っても仕方がないので、少しずつやっているが、こんなことしていると、どんどん情報が古くなるんだよなあ。 数年間再訪していないところも山ほどあるし、湯でたこサイトは温泉情報サイトというよりは、ただの湯でたこの作文サイトになっている気がする今日この頃。 よって宿題なわけで。あー、早くやらなきゃ。 |
2006/9/6(水) おめでとうございます |
皇室に41年ぶりの男の子御誕生。おめでとうございます。あのテレビ東京ですら、ちゃんとこの報道を流したというのだから、すごい。テポドン発射の時だって、旅番組流してたのに。 それでも街頭インタビューで、あの高橋名人に偶然にもマイクを向けてしまったというのが、テレ東クオリティ。 これで皇室男系継承云々という話は、先送りになったわけで。個人的には、よかったと思う。こういう大事なことを焦って決めてしまっても、ろくなことにはならない。将来もしかしたら、また同じような問題がおこらないとは限らないが、それでもよかったと思う。 時間の積み重ねというのは貴重なものだ。1000年続いた伝統を壊すのは簡単だが、一瞬で壊れた時間の連続性は、もう取り返せない。そういや、大峰山強行登山事件なんてものもありましたね。これなんかは、1300年続いた伝統を、一瞬で灰に帰してしまった。こうなったら、もう取り返しがつかない。 今までそれで問題なくすんでいた伝統は、できるだけ壊さないほうがよい。止めるのはいつでもできるが、続ける努力をし尽くした上で考えればよい。 長い時間の持つ重みを、なめてかからないほうがいい。こういう意見の割れる問題は、従来どおりやっておくのが一番トラブルが少ないのだから。 |
2006/9/5(火) 先生にならなくて、本当によかった |
「犬じゃないんだから座って食べなさい」と当たり前のことを注意しただけで父兄が怒鳴り込んできたり、夏休みの宿題が終わらなかったくらいで自殺されたり、タバコを持っているのを注意しただけで自殺されたり、給食費すら払わない親が沢山いたり・・・。 私は子供の頃、先生になりたいと思っていたが、ならなくて本当によかった。先日見たテレビで、ある小学校の学級崩壊の様子をやっていたが、小学校6年生の女子児童が「体罰ふるったらクビだもんね」と得意げな言い方をしていた。かわいくないガキだ。私も十分かわいくないガキだったが、こいつらには負けるな。 しかし子供よりも先に親の教育だろうなあ。父兄からバカな訴えがあっても、一切取り合わないほうがよろしい。まともな父兄のみ相手にしていれば、徐々に修正されてくる。 まともな人間がバカをみるようではいかんが、その兆候は私の学生時代からあった。掃除当番をサボりがちな生徒がちゃんと掃除に出てくると誉められるのに、毎日時間通りに集まって掃除をしている生徒は全く誉めてもらえない。聖書の放蕩息子のような話だが、実際にそういうことがあった。これはキリスト教の精神からいくと正しいことなのかもしれないが、無神論者の私には到底納得のいく話ではない。 まあともかく、先生にならなくて本当によかった。 |
2006/9/3(日) あっという間に9月だよ |
早いなあ。空をみると、もう秋の雲が見える。年とると、年月が早いってのを、最近しみじみと感じるようになった。 ところで、銭湯の廃業が相次いでいる。東京では今年半ばに6年ぶりの値上げがあったのだが、やはりそれが影響しているんだろうか。あちこちから廃業のお知らせを聞くたびに寂しい思いをしている。 私はここ数年、家の風呂を全く使っていない。風呂付の家を借りておいて、なんと勿体無いことかと思うが、それでも銭湯へ行ってしまう。やはり大きなお風呂は気持ちがいいし、今日はあっち明日はこっちと入り歩いていると飽きない。とはいえ、普段から通う銭湯は大体数軒に絞られており、遠くの銭湯へ足を伸ばすのは、たまにということになる。廃業のお知らせが入ると、「ああ、あと一度くらいは行っておけばよかったな」と思ったりするが、遠いとそうもいかない。本当はあちこち行ってみたいのだが。 最近は常に残業しているので、買い物して家に帰るのは7時〜8時。それから夕飯作って食べて後片付けして・・・となると、そうそう遠くへも行っていられない。遠くまで行くと結局外食することになるのでお金もかかるし、遠くの銭湯へ行くのは、たまの贅沢。でもこれだけ廃業が続くと、できるだけ多くのお風呂に入っておきたいなあ。今日みたいに天気のいい日は、朝から出かけていくのもいいかもしれない。そんなのんびりした週末を過ごして、静かに年をとっていけたら嬉しい。 |