2006年10月

 


2006/10/29(日)          日本のメディア芸術100選に関して
文化庁メディア10周年記念企画「日本のメディア芸術100選」のエンターテイメント部門一位が「やわらか戦車」だそうだが・・・これってどうなのよ?別に「やわらか戦車」嫌いではないけれど、「スーパーマリオ」や「ピタゴラスイッチ」「ポケモン」「キティ」より上位だと言われると、ちょっと違うんじゃないの?と思うのは私だけか。
まあこれって、一般の人もweb上で投票できたみたいだからなあ。こういう政府の公式の場で、一般人の投票で順位を決めるってどうかなあ。こういう場合は、不適ではないだろうか。単なる人気投票になってしまうわけだし。組織投票なんかも可能だし、web上での投票だったら、ネットやらない人なら知りもしないわけで、そういう人の意見は全く入らない。そんな適当な一般投票を受け付けてしまっていいのか?「日本を代表するメディア」を政府が公式に選ぶわけだから(この見解がそもそも間違っていたらゴメン)、そんな無責任な方法でいいんだろうか。
他の部門にも色々と言いたい事がありますよ。たとえば、手塚や藤子をさしおいて「スラムダンク」が一位とか、アート部門の二位が明和電機だとか。でも、これらの分野は私は全く不得意なので「そんなもんかなー」とも思えなくもないのだが、エンターテイメントはちょっとね。二位以下のものと比べても、日本を代表する作品か・・・と言われると、やはり違う。絶対に違う。
私はキティは全く好きではないが、それでもキティが一位ならまだ納得しただろう。この文化庁の結果にすんなり頷けない私のような人間は、どのくらいいるのだろうか。今後の「やわらか戦車」のマスコミでの扱われ方がどのようなことになるのか、興味深いところである。

2006/10/28(土)          神田古本祭り
天気もよかったので、神田の古本祭りに行ってきた。
例年私の都合のよい日はいつも空模様があやしかったので、今年はきれいに晴れてくれて有難い。
古本の青空市だけでなく、ブラスバンドの演奏や食べ物の屋台、古本の競り市なども行われていて、結構楽しめた。

それにしても、すごい人だった。古本マニアってかなりの人口がいるみたいだから、そういう人たちがみんな集結したんだろうか。キャリーカートまで持った人もいて、やる気満々って感じで、圧倒されそうだった。気合の入れ方が違うもん。ああいう人からすると、私みたいな冷やかし半分の人間は邪魔なんだろうな。でもねー、私も探している本があったんですよ、見つけられなかったけど。青空市だけでなく、周辺の書店もくまなく探したのだが、駄目だった。
本が見つからなかったことは残念だが、人が多かったので、敷居が高く感じていた威厳ある古書店にも入ることが出来たのはよかった。やはり老舗の古書店というのは、独特の雰囲気があるものだ。それは他の老舗には感じられないもので、この雰囲気を味わってしまうと、古本マニアの気持ちも何となく理解出来るような気がするのである。

2006/10/26(木)          そういやCOSMO GANGってカメのゲームがあったな
70歳カメ飼い主逆ギレ 巡査にかみつく
ペットとして飼っているカメへの虐待を注意した巡査(26)に逆ギレ、手首にかみついたとして、神奈川県警川崎署は21日までに川崎市幸区の自称大工、松橋富康容疑者(70)を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。
調べによると、20日午後6時ごろ、川崎区の路上でカメを引きずって歩いていたところを通行人の男性が見つけ「虐待ではないか」と通報。
川崎署の男性巡査らがカメを蹴ったり放り投げている松橋容疑者を見つけ注意したところ、いきなり「カメは強いんだ」「1トンの車にひかれても大丈夫だ」など怒鳴り声をあげ大暴れ。制止しようとした巡査の右手首にかみついた。巡査は1週間のケガ。
カメは全長約20センチのミドリガメとみられ、松橋容疑者はカメの尾近くの甲羅部分に開けた穴に約1メートルの鎖を付け、イヌの首輪に結んで散歩させていた。カメの甲羅には赤いペンキで自分の住所と氏名のほかに「ヨドバシカメのカメ」と書かれていた。現場はJR川崎駅東口の近く。隣接するビルには「ヨドバシカメラ」が入っている。
同署は事件の証拠品としてカメを「保護」。エサを食べるなど比較的元気な様子だという。 スポニチ2006年10月22日付 紙面記事より引用


これ、webで写真見たんですが、赤いペンキのようなもので甲羅に縦書きで書かれてました、「ヨドバシカメのカメ」って。その両脇はモザイク入ってたんですが、おそらくこのおっさんの名前や住所などだろう。
しかし、キテますねー、この親父。虐待じゃないかって通報してきた人も、虐待とかよりも「危ない人がいるから、なんとかして、お願い」って感じではなかったのかと。カメを蹴ったり放り投げたりしている人がいて、そのカメを見たら甲羅に謎の呪文。怖えぇー。しかも最後には警官に噛み付いてるし。
こういう謎の文言というのは、やはり電波を通じて頭に飛び込んでくるのだろうか。それにしてもこの記事、「隣接するビルにはヨドバシカメラが入っている」ってw
こんな電波さんの相手までしなければならない警官に、ちょっと同情してしまった。

2006/10/25(水)          華の都
日本人旅行者、夢と現実のギャップで「パリ症候群」 ←そのうちリンク切れになるかも
[パリ 22日 ロイター] パリを訪れる日本人観光客のうち、年間12人程度は心理療法が必要な状態になるという。
22日付の仏ディマンシュ紙が、現地の精神分析医などの話として報じた。
不親切なパリジャンや薄汚れた通りなど、さまざまな現実を目することで旅行前の期待が裏切られたように感じ、精神的なバランスを崩すことが原因だとしている。
同紙によると、在パリ日本大使館は今年に入り、宿泊している部屋が何かの陰謀で盗聴されていると訴えた女性2人をはじめ、
自分がルイ14世だと信じ込んでいる男性や、電子レンジから攻撃を受けていると思い込んでいる女性など4人を本国に送還させたという。
同紙はこういった症状を、2004年に精神科医が最初に名付けた「パリ症候群」だと指摘している。
ある日本人女性は「私たちにとってパリは夢の都。フランス人は皆きれいでエレガントで、、、それで実際に来てみると、フランス人の性格が自分たちと正反対であることに気付くのです」と語った。(ロイター) - 10月23日13時21分更新より引用


う〜んとですね・・・この記事を書いた人は、正気なのでしょうかね?なんだよ、パリ症候群って。30年以上前のパリのイメージは、確かに華の都で、パリジャンやパリジェンヌは目に星が光ってて、フリルのついたようなきれいなおべべ着て、背景にバラの花背負ってるって感じだったかもしれないけど、平成の世にそんなイメージ持ってパリに行く人間なんているんかな。少なくとも、自分の周囲ではいなかったぞ、そんな古くさい概念持った人間は。
でも「パリ症候群」という名前を考案したのはフランス人らしいから、未だにそういうイメージ持ってパリに来る人間が多いということなのだろうな。それにしても、そこまで自分の国が周囲の国から「憧れの視線」で見られている、と感じる自信は相当なものだ。さすがフランス人。
しかし、だ。「自分がルイ14世だと信じ込んでいる」「電子レンジから攻撃を受けていると思い込んでいる」人たちというのは、パリに来ておかしくなったわけじゃないでしょ。この人たちは、きっともともと電波な人たち。そういう人が、たまたまパリに旅行に行っただけ。行き先がニューヨークだろうがロンドンだろうが、こういう人たちは何かしらやらかすと思う。それを「パリ症候群」とかいうわけのわからない言葉一つで片付けようとするというのは、あまりにもひどすぎる。この新聞にコメントした精神科医自身を心配してしまう。

パリは一度だけ行った。いたるところ犬の糞だらけだった。町は美しいとは言えない。食事もそれほどでもなかった。でも、そういったカルチャーショックを楽しむのが海外旅行だと思っているので、それなりに楽しんできた。犬の糞を踏んづけたのには、腹が立ったが。
メトロの駅も、ゴミだらけだ。一見の価値あり。とにかくすごい。彼らは掃除ということを知らないのではないかと思うくらい、ひどいものだった。日本に帰ってきて、掃き清められた電車のホームを見て嬉しくなった。
パリで一番驚いたのは、ある駅でメトロに乗ってきた移民系フランス人の母娘だ。一体何日洗っていないのかと思えるほど汚れた服を着ていた。日本のホームレスのようなのとはちょっと違う、中途半端な汚れ方なのだ。服の素材も安っぽく、ぺらぺらの生地という感じだった。髪もぼさぼさで、全身から貧しさが立ち上っていた。2人は移民系の人間の多く住むあたりの駅で降りていった。
なんというか、本当の貧しさを見た、と感じた。真冬のパリ、石畳から寒さが伝わってくる冬のパリ、太陽なんかでない寒い季節。あの気温の中で、あのようなみすぼらしい格好で、あの親子は寒くなかったんだろうか。汚れきった髪。足掻いても足掻いても、貧しさから脱却できない階級の人たち。なんだかとても胸が痛くなる光景だった。

しかし日本があのようにならないとは、一体誰が言えようか。

2006/10/23(月)          名古屋へ行っていました
2泊3日で名古屋へ旅行に行ってきた。私にしては珍しく、温泉に一度も入らない旅行となったが、かなり楽しく大満足な旅行となった。
そのうち時間に余裕が出来たら、旅日記にアップする予定。できれば今週中に。できるかな。ま、気長に待っていてください。誰も待っていないだろうけど、一応。

2006/10/17(火)          代理出産、国が容認方向へ?
代理出産を国が容認する方向で検討を始めるというニュースを読んだ。ん〜、そうですか、容認しちゃいますか。やばいことにならなければいいなあ。これって先日の諏訪の病院で、母親が娘の代わりに出産したということを受けての考え?ちょっと早すぎるから、前々からそのつもりだったということだろうか。
国が容認するというからには、おそらく「ボランティア」での代理出産に限るということなのだろう。金銭の授受がないようにするというか。そうすると、代理母の資格があるのは、血族に限られるということになりそうな気がする。今回の代理出産のように、母親が娘のためとか、自分の姉妹のためとかね。姻族まで含めると、家と家の上下関係によって強制力が発生する場合があるから、除外されるのではないかと。
もしくは、ものすごい奇特な人が国にボランティア登録して(脳死ドナーみたいに)、とかかな。でも、そんなことはありえないなー。何か特典がつかないと、そんなことやらないだろ。余程の自虐的な人でない限り。

世の中というのは、法の抜け目をかいくぐって、悪いことを考える人のほうが頭がよかったりするものだ。国が一部でも代理出産をOKにしたら、暴力団の資金源になる可能性がある。借金に悩む適齢期の若い女性を説得して、OKさせればいいだけの話だ。身近に代理出産してくれる人のいない女性との間のブローカーをして、手数料をもらえばよい。後は依頼者の女性の親族に口裏をあわせてもらい、体外受精で妊娠した女性は逃げないように、きちんと匿っておく。そして金をつかませた医師に、診断書の偽造を依頼する。臓器ブローカーよりもはるかに簡単。しかも臓器売買と違って、妊娠は1人の女性で何度か繰り返せるし。あー怖い。なにせ臓器だって姻族でも血族でもない人間を連れてきて「妹です」とか言って病院を騙して移植できちゃうんだもの。依頼者の姉や妹になりすますくらい、簡単なのではないか。

合法とするなら、うんざりするほど細かいケースまで想定して、法制定しないとだめだ。たとえば、先天奇形。これは誰の責任でもないのだが、生まれてきてから依頼者が「引き取りたくない」というのを防止する必要がある。もちろんその逆の「折角生んだ赤ちゃんを渡したくない」というケースも。また胎児水腫や泡状奇胎などにより、堕胎を強制される場合の、妊婦の保護はどうするのか。泡状奇胎などはその後に継続した治療が必要となることもあるが、その治療費は誰が負担するのか。
もし金銭授受が発覚した場合は、どのような法が適応となるのか。子宮を貸すドナーの身元が確実であることを確かめるため、病院に調査権を与えるのか。代理出産の依頼を、病院には断る権利を与えるのか。分娩でトラブルがあってドナーに何かが起こった時は、どうするのか。まあ生体臓器移植と同じように考えればいいのかな。生体臓器移植でもトラブルはあるのであり、そこに赤ちゃんまで加わるのだから、もっと大変なことになるのは、容易に想像がつく。
きっと自分たちが全く予想すらしなかったようなことが、絶対に起こる。現実は想像よりも奇妙だったりする。現実に法整備が追いついていないという考え方もあるだろうが、倫理というのはこのくらいは大丈夫と一箇所を崩すとあっけなく崩壊していくものである。だから安易に決めないで、よく考えたほうが良い。考えすぎるということはない。
世の中は変化していくものだという覚悟は出来ている。しかし、受け入れられない問題もある。人によって倫理観の違いはあれど、代理母を合法とするなら、せめて人身売買のようなことが起きないですむように法整備してもらいたいものだ。

2006/10/16(月)          忙しい
忙しい。書く暇がない。書くことはないわけではないが、書いている時間がない。

貧乏暇無し。

2006/10/12(木)          ドラえもんの最終回
年をとると、涙もろくなる。何度見ても泣ける映画というのは誰にでもいくつかあるものだと思うが、こんな私にも当然ながらあるのだ。T2のラストとか、火垂るの墓とか、岸辺のアルバムとか・・・。その中でも脊髄反射レベルで涙が出てしまい困ってしまうのは、「砂の器」「フランダースの犬」そして「ドラえもん・のび太のおばあちゃんの思い出」である。
「砂の器」は、父親と親子の放浪シーンで一泣き、駅のホームの親子の別れのシーンで二泣き、最後に緒方拳がアップになって父親に会うように説得するシーンで仕上げ泣き。
「フランダースの犬」は何と言ってもおじいさんの亡くなるシーン。ここで号泣。私は最終回よりも、この回のほうが数倍泣ける。
「おばあちゃんの思い出」は、のび太がランドセルを背負って、「おばあちゃん、ぼくのび太です」からラストにかけて泣きの嵐である。

そして今日ネットを徘徊していてたまたま見つけてしまった「
ドラえもんの最終回」。ドラえもんの最終回は、「のび太植物人間説」のような都市伝説がいくつかあるのだが、その中でもこれは秀逸すぎる。とても短くまとまっているが、涙なしには読むことが出来ない感動的なもの。ちょっと調べてみたら、とても有名な話らしいね。私が知らなかっただけか。勿論これには藤子F先生は全くかかわっていないのだが、こんな感動的なストーリーだったら、藤子F先生もイイ!ときっとおっしゃってくださるのでは。
でも仕事の休憩中に読むものではないな。涙で目が真っ赤になって、午後はかなり困ることになった。

2006/10/11(水)          代理出産
向井亜紀とかいう何やってるんだかわからないタレントがアメリカで代理出産した子供を、自分の実子として認めろという裁判で勝ったらしい。区側は即時抗告。最高裁での争いとなる。
妊娠中に子宮ガンが発見され、中絶しなければならなかったというのは、本当に気の毒に思う。しかしその後、代理出産をするということを世間様に発表し、生まれた子供を連れ帰ってからも記者会見などをしていたという経緯を見ていると、なんとも複雑な気分だ。
そもそも最初は「戸籍上のことにはこだわらない」とか言ってたのに、いつから「実子」にこだわるようになってしまったのか。代理母を認めていない日本では、養子あるいは特別養子しか方法がないことくらい、わかっていたはずではなかったか。
向井亜紀の言い分を例外として認めてしまうと「なぜあの人だけ」という人がわらわら出てくるはずだ。そういう人たちの言い分も、認めないわけにはいかないだろう。向井亜紀だけ特別扱いする理由は、何一つないのだから。そうなったら、国が代理母を容認してしまったのと同じことになる。これはいけない。
アメリカでは広く代理母が認められているかのような誤解があるが、アメリカでも認められているのは一部の州だけ。認めていない州のほうが多い。向井は「ボランティアでお腹を貸してくれる人もいる」と寝言を言っていたが、そんな奇特な人いるものか。みんなお金のためにやっているのだ。実際、あんたの借り腹だって、かなりのお金がかかっただろうに。向井の代理母をつとめた人のインタビュー記事を読んでいると、プアホワイトが自分たちの生活のために仕方なく腹を貸したとしか思えなかった。

代理母は個人的には反対だ。臓器移植と同じで、人身売買の恐れがある。借り腹が合法になってしまうと、それで借金を返そうという女性が出てくるだろう。本人の意思ならまだしも、暴力団などが係わって、組織的に行われることも考えられる。誘拐されてきてしまう人も出るかもしれない。
それに万が一先天性疾患を持った子供が生まれたらどうするのか、代理母が妊娠中に子供を渡したくなくなったらどうするのか、代理母が決まりを破って飲酒喫煙をしたらどうするのか、妊娠中に依頼主の気持ちが変わって「引き取りたくない」と言い出したらどうするのか、妊娠中に依頼者夫婦が事故などで死亡してしまったらどうするのか・・・問題は山積みだ。また、排卵誘発剤などの使用で、一度に大量の卵子を取り出せるようになると、1人の母親に100人の子供などというトンデモ事態も起こりうるわけで。それらは法整備しようにも、できる問題ではないと思う。

「戸籍上は養親・養子ですが、私たちは本当の家族ですから」とでも言えばかっこよかったのに。なぜそこまで実子の形式にこだわる?ここまでくると養子差別にさえ、つながりかねない。
母性、母性と繰り返しているようだが、紙切れ一枚であんたの母性が決まるのか。自分の子供だって確信があって、その子を大事にしていこうという決心があるなら、裁判なんかにかける時間を、その子供達にかけてやれ。向井は「高田の優秀なDNAを残したい」とか言っていたようだが、親子関係はDNAだけの問題でも紙切れ上の形式の問題でもない。
これだけ話題になってしまうと、いくら戸籍上は「実子」になったとしても、子供達の耳には必ず入る。子供の幸せのためを思って、というのなら、仰々しく記者会見なぞすることはなかったのだ。こっそりやってそれで嗅ぎつけられたというのなら、多少の同情も得られようが、全部自分がまいた種だ。仕方ない。
大体、多くの人が一生懸命になって、倫理的・医学的・社会的側面から考え続けている問題に対して、既成事実をもって認めろというのは、暴力に等しい行為だ。多くの人が向井に気分を害していても無理はない。テレビで売れなくなってきたら、このことをネタに講演で稼ごうとでもいう腹積もりでもあるのかと勘ぐってしまう。

実子と養子に格の違いがあるかのような向井の口ぶりを見ていて、思い出したことがある。
以前不妊症で配偶者間人工授精により子供を授かった母親たちのドキュメンタリーをテレビで見た。その番組を見ていて異様に感じたのは、「私たちは試験管ベビーじゃないんです。試験管ベビーとは全然違うのに、そう思っている人がいる。違うことをわかってほしい」と言っていたことだ。
妊娠までの過程は異なっても、一昔前ならどちらも妊娠できなかったという点では同じはずだ。科学の進歩で、どちらも妊娠が可能になっただけの話だ。それなのに、配偶者間人工授精をした母親たちが、体外受精(試験管ベビー)のことを自分たちよりも低く見ているようなものの言い方が気になった。

医学の進歩で、不可能であったことの一部が、可能になりつつある。それとともに「子供は授かりもの」という考えはなくなっていきつつある。私は「子供をつくる」という言い方に、大層違和感を覚えるのだが、すでに授かりものではなくなってきているということか。これからも答えの出ない問題であるだろうから、このような不毛とも言える争いはなくならないだろうな。
気の毒なのは巻き込まれる子供達だ。向井は裁判した経緯を、将来子供達に得意げに語るのだろうか。なんだか寒気がするような光景である。

2006/10/9(月)           杉並区銭湯フェスティバルでペンキ絵の実演を見る
今日は銭湯フェスティバルに行って、丸山清人氏のペンキ絵の実演を見てきた。湯でたこの旅日記に、新しくページを作ってあるので、そちらをご覧下さませ。

2006/10/8(日)           mixiと2ちゃんねる
なにやらmixiが騒がしい。つい先日も「かっつ」やら「アタック25優勝者」だのが騒がれていたが、今回のは騒がれ方がちょっと違う。被害者とも言える女性が失踪したことで、ますます事態は大きくなりそうだ。ZAKZAKなんかも記事を消去しちゃったみたいだし。
実は私はmixiには出入りしていない。一度だけ知人から誘われたが、興味がないので断った。だから内部の様子を知らない。実名登録が義務付けられているという話は聞いたことがあるが、まさか忠実にそれを守っている人が大勢いるとは知らなんだ。
知人に誘われた時も、別に警戒心があったわけではない。ただ、サークルみたいなのを作っての内輪での盛り上がりというか、そういうのが何となく気持ち悪いと思っただけだ。どうも私は、内輪の馴れ合いのようなものが好きではないし、徒党を組むのも苦手なので、こういう仲良しサークル的なものは合わないだろうと思ったのだ。

ネットに慣れていない人が、mixiに出入りしている可能性がある、と今回の騒動を通じて思った。だって実名だから安心って、そんなこと絶対にあるものか。身分証明書の提示を求められるわけでもなく、ただ友人の紹介が必要というだけ。紹介制と言ったって、2ちゃんねるなどを見ると、いくらでも「招待しますよ」という書き込みがあるではないか。こんな状態で入ってきた人たちも沢山いるだろうし、何をもって安心安全といえるのか、まったくわからない。紹介なら悪意がないとでも言うのだろうか。それとも、何か問題を起こした人がいたら、紹介者も連帯責任をとらされるシステムなの?そもそも退会以外の責任のとりかたって、どうするの?法廷に持ち込むとでもいうのだろうか(最終的にはそこに行き着くのだろうが)。

そもそも本名なら安心という考えにも同意できないし、匿名が悪いような言い方にも同意できない。匿名には大きな利点がある。本音を言えるということだ。そしてそれによっての自浄作用が期待できる。これは個人が特定される場所ではなかなか難しいことなのだが、匿名の場所ならあっけなく出来てしまう。言いにくいことでも、匿名なら言えるということだ。
誰かが間違ったことを言っていても、自分が特定されてしまうと、それを指摘するのは難しい。だからmixi上で堂々と批判できず、2ちゃんなどに画面のハードコピーを晒したりするわけで、その結果がこれだ。今回の場合は、被害者が真面目に実名登録し、自分の住所や出身校まで晒していたのが致命傷になってしまった。こうなると実名のほうが匿名よりも良しと、簡単には言えないのではないだろうか。mixiが個人特定できないようなシステムだったら、内部でもっと自浄作用が働いていたのではないか。

私はネット上では、匿名で十分だと思っている。私のネットでの実名は湯でたこ、あるいはyudetakoであって、他の名前はない。自分の名前でサイトを持っており、ドメインも持っている。今更本名を晒す必要性を感じないし、他人にもそれは全く求めない。時々読者からメールを頂くが、全て匿名だ。それが当たり前だと思っているし、本名を使う人は仕事など何か事情があるのだろうと思っている(仕事関係のメールの場合は、実名の場合が多い)。
しかし、世の中にはやはり実名であることを重要視する人も多い。以前ある人にメールを送ったことがあるのだが、実名でないことをさりげなく非難するような文面が入った返信があった。私は自分が実名を重要視しないので、こういう人もいるのか・・・と思い、仕方なく本名を書くことにしたのだが、そこではたと困った。一体それが私の本名だと証明する方法はあるのだろうか?ということだ。
私が相手に本名の開示を要求して、相手がそれらしき名前を書いてきたとしても、私は素直に信用できない。だって確認しようがないもの、そんなもの。どうやってそれが本名だと調べればいいのか。もしメアドがフリーだったらどうすればいいのか。そんな不確かな情報であっても、もらった人は満足するのだろうか。
となると、どこまでさらけ出せば「確実な個人情報」となるのだろうか。名前と住所ならば、その場所に来れば確定できる。名前と電話番号なら、電話すれば確定できる。名前と勤務先なら、問い合わせれば確定できる・・・・・このように考えていくと、個人の確定というのにはかなりの情報を出さなければならないことになる。そんなことまでさせて相手のことを知って、どうしようというのだろう。私には全く理解できない。

時々ブログが炎上することがあるが、それも匿名で書き込めるコメント欄のおかげだろう。あのコメントの中にはブロガーの知人が、他人のふりをして書き込んでいるケースもあるに違いないと思ってしまう私はひねくれているのだろうか。本音を期待するなら、匿名に限る。2ちゃんねるだって全部ログをとってあるのだから完全な匿名とは言えないが、表向きは匿名である。その点だけを見ても、mixiよりはまだ自浄作用が期待できるし、ましだと思っている。ま、どちらも読んでいるだけなら、大したことはないのでは。
でもたまーにウィルスが仕込まれていることがあるからなー。それだけは怖いな。ROMするだけでも大変だ。システムやディスクのスキャンは、頻繁に行いましょうね、皆さん。

2006/10/6(金)           イケメン≠かっこいい
女性キャスターとの不倫で話題になっている代議士。テレビでも新聞でも雑誌でも「イケメン代議士」と書かれているようだ。この「イケメン」って言葉がどんなに便利な言葉なのかを、今回の騒動で感じた。「イケメン」は「顔や見た目がいい」ということだけであって、「かっこいい」と同義語ではないのだ、というのをしみじみと思い知った。
はっきりいって、この代議士はかっこ悪いのだ。まず不倫すること自体がいただけないし、その現場を写真誌にしっかりと撮られてしまうというかっこ悪さ。これは誰かに刺されたという見方も出来るが、そうなら脇が甘いということであり、ますますもって駄目。政治家だから愛人くらい居ても別に驚かないが、それが表ざたになってしまうようでは、やはり駄目でしょう。
その上、プライベートな移動でもJRの無料パスを使っていたことが判明。しかも最初は「使っていない」と言っていたのに、後でばれそうになって「ごめんなさい」した。これってデートでの飲食代の領収書に、会社の名前を書いてもらうようなものだろう。かっこ悪い。その程度の金、出せよ。金、あるんだから。
きっと家では針の筵で、子供や夫人を前に小さくなっていることであろう。果てしなくかっこ悪いな。この一連の騒動に、一生懸命言い訳していたのも、また見苦しい。
とにかく全てが、かっこ悪かった。

で、この騒動を見ていて「イケメンイケメンって、かっこ悪いことこのうえないじゃないか」と思っていたのだが、よくよく考えると「イケメン」って言葉は「かっこいい」とは違うのだということに、今頃気づいた。確かにこの代議士はまだ若いし、それなりに見栄えもいい。でもかっこ悪い。なるほど、「イケメン」がぴったりなのだった。
そういえば「かっこいい」と言われている人と「イケメン」って言われている人って、違うんだよね。「イケメン」ってのは本当に「見た目」だけを誉めているという、大変便利な言葉だ。今では使わなくなってしまった「ハンサム」と同類だろうか。中身までを含めての評価ではないところがポイントか。
それと反対に、見た目は今ひとつぱっとしない人であっても、内面にあるものが加味されて評価される場合は「かっこいい」といわれることが多いようだ。最近では記者相手に痛烈な皮肉コメントを飛ばした時のローゼン大臣とかが、ネット上などで男女問わず「かっこいい」の評価を下していたように思う。はっきり言ってローゼン大臣は「イケメン」ではない。でも、マスコミからの頭の悪い恣意的な質問に対して、ジョークを交えながらも毅然とした態度で接したローゼン閣下は、たまらなくかっこよく映ったのである。

というわけで、イケメンと言われても単純に喜んではいけない。それは見た目だけの評価であることが多い。
しかし見た目をなによりも重要視する人には、最高の誉め言葉かもしれない。

2006/10/5(木)           NHK
私はテレビ番組は録画しておいて、後で時間が出来た時にまとめて観ることが多い。つい先日も、NHKの「にんげんドキュメント」を観ていたのだが、録画なので、いつの放送かわからない。
それはともかく、その内容がとてもよかった。着物の生地で日傘を作っている傘職人さんの話なのだが、全国から思い入れのある着物が送られてくるのだという。亡くなった親族の着ていた着物、若い頃作って袖を通すことなく箪笥の肥やしになっていた着物、など。それを裁断して、世界に1本しかない日傘を作る。その日傘と、材料となった着物と、それにまつわる家族の思い出などを紹介していくという、大変良質の番組であった。観ていて、心がほのぼのとしてくるのを感じた。
そして、思った。NHKも、こういう良質の番組だけを作っていれば、受信料不払いなどということは避けられたはずなのだ。報道は偏りなく、あくまでも事実のみを淡々と伝えるだけにとどめ、歌番組はあくまでもNHKっぽく演歌やムード歌謡で占め、ドキュメンタリーは派手さを追求せずに、民放では作れないような番組を作る。それだけでいい、と私は思う。
私はNHKの作るドキュメンタリーは、決して嫌いではない。傘職人の回のような番組作りは、NHKならではのものだと思う。人気タレントなど一切使わず、市井の人たちだけが画面に登場する。お笑い芸人がレポートするような派手さや賑やかさはないが、その分おふざけもなく、大人向けの番組となっていた。以前観た「里山」という、滋賀のある村の様子を写した番組も素晴らしかった。1時間弱の短いものだが、今でも一つ一つのシーンが頭に焼き付いている。これは民放では出来ない、NHKならではのものだ、と感じたものだ。
そういえば、「地球ふしぎ大自然」(今はもう終わってしまったが)も、当初はSMAPの草なぎと小泉今日子がナビゲーターをしていたのだが、不評だったのか、すぐに以前の「いきもの地球紀行」のようなナレーションの進行のみで進められる構成に変わった。視聴者がNHKに求めているものを、NHKはかなり見誤っている気がする。11月から料金の不払い家庭に法的督促をするそうだが、そんなことよりも良い番組造りに情熱を傾けたらどうか。不祥事や偏りのある番組作りをしているうちは、不払いの増加は止められない。日本の放送局として、熱意をかける部分が激しく間違っているように感じるのは、私だけだろうか。

ちなみに、私が一番気に入っている番組は、当然ながら「ふだん着の温泉」である。

2006/10/2(月)           給食、止められるものなら止めてみろ→止めてOK
給食費を払わないで、自分の子供にただ飯食わせている親が沢山いるそうだ。あげくの果てには、「頼んだ覚えはない」「義務教育だから払わない」「止められるものなら止めてみろ」とか言うらしい。これが日本全国でおこっているというのだから、頭が痛くなる。なんでも、岩手県の滝沢村が、ワースト1だとか(以前聞いた話なので、今は違うかも)。
こうなったら給食そのものを廃止したらどうか、という意見もあるようだが、弁当を持ってこない悪ガキがいじめられっ子の弁当を取り上げるだけ。食券制にしても同じようにカツアゲにあうだけなので意味がない。やはり給食費を払わない家庭の子供だけ、給食を停止するのが一番いいだろう。
子供が惨めな思いをすれば、払う親も出てくるかもしれない。それでも払わないようなら、児童虐待ということで通報できるようにすればよい。
それから、昔のように給食費は月謝袋に現金で入れて、子供に持たせるようにする。そうすれば子供は、自分の家が払っていないことに気づくので、恥ずかしくて親に懇願くらいはしてくれるかもしれない。子供が給食費を使い込んだら、払ってもらうまで食べさせない。子供の小遣いから差っぴくかどうかは、各家庭で判断させればよい。
給食費の平均は、1ヶ月4000円ほどらしい。たった4000円を払わないとは。この親たちは、自分の子供よりも4000円が大切なのだね。たった4000円を惜しんで、周囲から「そういう人」という目で見られる道を選んだわけだ。
自分に4000円以下の価値しかないと気づいたら、さぞかし子供は悲しむだろう。子供は親の背を見て育つ。この親たちは、自分が老人になった時に、子供達が同じような仕打ちを自分たちにする可能性は考えていないのだろうか。
「くそババアの養老院の食費に、4000円も払えっかよ!俺だって払ってもらってなかったんだよ!」と言われても、ひもじい思いして周囲のさげすむような目線に耐えてくださいね。

2006/10/1(日)           久しぶりの動物園
昨日のことだが、ものすごく久しぶりに、動物園へ行ってみた。
上野の美術館に寄ったついでだったのだが、思った以上に楽しめた。
空はすっかり秋の雲。
ものすごい人出で、やはり家族連れが多い。いつになっても動物園と水族館は人気がある。
上野動物園は大人の入場料が600円なのだが、年間パスポートは2400円という破格値。
これにはびっくりした。

 

象のコーナーになにやら人だかりがあったので見に行くと、
飼育員の1人が象に乗っていた。しかも3頭並んで歩いている。
最後はお客さんのほうを全員で向いて、鼻をあげてご挨拶。ぱおーん。
こんなショー的な要素も、今の動物園では組み入れているんですね。

 

橋の上から手を伸ばせば届きそうな高い枝に、ヤマアラシが登ってお昼寝中。
1mくらいしか離れていない場所にいるので、通行人みんなに大人気。
最初は全く動かないので、ナマケモノかと思った。ヤマアラシって、思ったよりも大きい。
これ、触ると痛いんだろうなあ。

 

池に行くと、鳥が沢山いるのは知っていたが、まさか丹頂鶴までいるとは思わなかった。
丹頂鶴を見るのは、生まれて初めて。白と黒と赤のコントラストが、とにかくきれい。
仕草も優雅で、惚れ惚れと見とれてしまう美しさ。
これを厳寒の釧路湿原などで見たら、さぞかし感動だろう。

ちなみにここには、大鷲もいる。怪我をして飛べなくなってしまった大鷲を、保護しているのだそうだ。
鷲は遠くに見たが、本当に大きかった。飛べなくなったのか。かわいそうに。
動物園は、こういう動物の保護にも役にたっているのだと感じた。

 

今回一番楽しみにしていたのは、このハシビロコウ。じっとして動かないと聞いていたが、
動物園では餌を捕獲する必要に迫られないからか、動きまくりだった。
かなり大きな鳥で、広い篭の中を飛ぶ様は迫力がある。かなり大きな音がする。
上野動物園には5羽もいるそうだ。

 

とまあ、童心に返れた数時間であり、大変楽しかった。
旭山動物園が独自の工夫を凝らして集客しているという話題がよくでるが、
上野は上野でそれなりに工夫しているように感じられた。十分楽しかったし。
私が子供の頃には「お猿の電車」というのがあって、子供が10人くらい乗れる連結電車の先頭に
車掌の帽子を被った猿が1匹乗っていた。大変人気があったのだが、動物保護団体からのクレームでなくなった。
その頃の写真が飾られていて、それを見て懐かしく思い出した。

写真はないが、一番可愛らしく感じたのは、ヤマネ。手のひらにすっぽりとおさまってしまうくらいのサイズで、
モモンガよりもずっと小さく、巨大な目を持ったネズミの仲間である。
私は実はネズミが大嫌いなのだが、どうしてこんなにヤマネは可愛いのだろうか。自分でも不思議だ。

 


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