2006年4月


2006/4/30(日)          私の共同浴場3
今日も今日とて、銭湯へ。やっぱり銭湯はいいなあ。心が安らぐ。
共同浴場というのは、私の人生にとって、なくてはならないものとなってしまったようだ。

私は温泉が好きで、かなり多くのお湯に入ってきたという自負があった。
そして温泉めぐりを続けているうちに、自分の求める温泉像というものが、徐々に固まりつつもあった。
しかしそれは、何が何でも温泉でなくてはいけなかったのかというと、違うのではないかと最近思い始めた。

あちこちの銭湯に入っていると、そこには必ず常連さんがいる。日本各地の温泉の共同浴場にも、同様に常連さんがいる。飛び入りもいる。
彼らは日常の一部として、共同浴場を使っているだけだ。違いは、お湯が温泉かどうかということだ。
温泉の共同湯であっても、真湯の銭湯であっても、人々が集まって裸の付き合いをして、平和に過ごしていく。大きな違いなど、お湯以外に、ない。
ならば、お湯が温泉だということだけで、真湯の銭湯よりもありがたがるのは、何か違うのではないか?自分にとって一番大切なのは、お湯?それとも他のこと?
それを今日の銭湯で、痛切に感じた。日常の中に、やすらぎがある。そのことに価値があるのであって、そのことが自分にとって一番大切なことだったのではないかと。

色々な温泉に入ってきたが、自分が一番大切に思うことに気づきながらも明確にすることが出来なかったのは、ひとえに自分の不勉強だと思う。
勿論今後も温泉には入り続けていくし、温泉めぐりを辞めるつもりはない。
しかし自分のすぐ近く、手を伸ばせば届く場所にあるものを大切に出来ないで、遠くの温泉ばかり語っても・・・という気持ちが、自分に芽生えたのは確かである。
この気持ちを今後の温泉めぐりに生かしていきたい。その為には足元を固めて、自分の身近にあるものを大切に出来るようにしていかなければ。
ともあれ、自分の今後の方向性というのがはっきりしてきたのは、よかったと思う。あ、こんなこと書いても、温泉めぐりの内容には大きな変化は起こらないので、ご心配なく。

2006/4/29(土)          藤祭り
近所で藤祭りが始まっている。そろそろ満開に近い時期なので、夜に行ってみた。
花盛りになると、藤棚をライトアップする。それを太鼓橋の上から見ると、本当に美しい。
ライトアップされた藤棚の向こうにビル群が見えて、それがまたいい。
都会の谷間にこのような空間があることを、本当に嬉しく思う。

ところで、藤の花というのは、思った以上に香りが強い。風向きによって、かなり匂うものだ。
何の花の匂いに似ているか、というと例えようがないのだが、強いてあげれば、ラベンダーに似ている。
そういえば、青い花の匂いって似ていると思う。赤い花も。色と香りに、何か共通点があるのだろうか。
調べてみると、面白いかな。多分自分の思い込みにすぎないとは思うが。

2006/4/27(木)          超能力って、何の役にたつの?
時々テレビで見かけるのが、超能力やオカルト現象についての検証や論戦だ。某局では毎年大晦日に恒例となっている。
私は超能力もオカルト現象も否定派で、透視とか物質化現象なんて、全て手品だと思っている。
心霊現象なども、科学で解明できない、のではなくて、現在の科学での証明は無理なだけで、将来は必ずや解明されると信じている。
それでもオカルトという分野は、なくならないだろうな。それを欲している人間が居る限りは、なくなることはない。

スプーン曲げたりインチキ臭い透視をしたり。そんなしょぼい超能力とやらには、とんと興味がない。
むしろ、それを必死になって追い求めている人たちのほうに興味がある。ESPカードとかで、訓練までしてさ。
「超能力をつけたい」と言っている人たちに聞きたい。それは一体、何の役にたつの?
スプーン曲げたかったら手で曲げればいいし、封筒の中身を見たければ開ければよい。
彼らの披露する超能力というやつが、日常生活に役にたつとは、とても思えない。だから、本当に全くうらやましくない。
凡人の私からすれば、5ヶ国語操れるなんて人は、スプーン曲げられる人よりもよほどすごい能力に思える。
何を聞かれているのかすらも不明な数学の難問を解く人も同じ。フルスピードで2時間以上走れる人も同じ。でも彼らは、超能力者ではない。
人間の本来の能力を超えている、ということで超能力と言うのだろうが、超えられなくてもいい。スプーン曲げる必要も、おそらく一生ないし。

それでも、もっと頭がよければよかったな、と思ったりするが、そうだったら今の私は居ないかもしれない。
世の中というのは、考えられないほどの偶然や必然の積み重ねで、今があるのだから。
そう考えると、バカもそれほど悪くないと思える。賢い人って、バカよりも苦労が多そうだし。

2006/4/24(月)          実はシャ乱Qって結構好きだ
つんく、結婚だって。びっくりした。あの人ってなんとなく、ずっと独り者で居るイメージがあったから。
仕事面白くて、結婚どころじゃないのでは?とも思っていたが、まあ朝娘もそろそろおしまいって感じだし、
息抜きするにはちょうどいい頃合かもしれない。おめでとさん。
シャ乱Qって、あのダサさが妙に心地いいバンドだと思う。メロディも少々古くさくて、そこが安心して聴けるというか。
私のようにムード歌謡なんざ聴いている人間の感性には、妙にしっくりくるようだ。つんくの功績なんだけどね。
「悪い女」の頃は、なんとも思っちゃいなかったんだが、「ハム太郎」の歌を偶然聴いた時には、かなりキタ。
「いつもの定食屋でひまわり丼の大盛♪(だったかな?)」だものなー。やっぱり、さすがだ。他には真似できない。

そんなダサダサシャ乱Qの歌の中で一番好きなのは、「大阪エレジー」とかいうやつ。これ、とにかく歌詞がかわいい。
自分と彼女の待ち合わせの様子などを歌ったりするんだけど、若い2人のほのぼのとした幸せが感じられて、
聴いているこちらまで、幸せな気分になれる。結婚式で、新郎友人が歌っても良さそう。
「幸せ」というのは、実は思った以上に攻撃性のあるものだ。だから幸せの表現方法を間違えると、他人の目は冷たい。
でもこの歌の「幸せ」というのは、全く押し付けがましくなく、とても微笑ましい。うらやましいとすら思える。
おそらく私はつんくの作品の、このような些細な部分が気に入っているのだろう。
家庭を持ってもこの空気を変えず、コテコテのダサダサ路線を守ってほしいです。お幸せに。

2006/4/23(日)          私の共同浴場2
よく利用する近所の銭湯に、見事な八重桜がある。今、まさに満開。
夜になるとライトアップされて、息を呑むほど美しい。
花があまりにも多くて重そうで、たわわに果実が実っているように見える。
この銭湯は唐破風造りの見事な建築。桜と白い壁が、実によく合っている。
実は私は、ソメイヨシノよりも八重のほうが好き。こんなきれいな桜が見られて、本当に嬉しい。
体も温まって、今晩はよく眠れそう。

2006/4/22(土)          私の共同浴場
最近は「遠くの温泉よりも近くの銭湯」という生活になりつつある。
もともと銭湯は大好きだったのだが、このところ頻繁に入るようになって、さらに良さがわかってきたように思う。
特に今日入った銭湯は大当たり中の大当たりで、思い切り私の好み。激シブ。
古い建築、レトロな脱衣所、勿論番台。素晴らしい。歴史を重ねた建築物ということで、文化財指定したいくらい。
新しいものはすぐに出来るが、古いものは時間の力を借りなければ出来ない。重ねた時間の重みが、良さを増幅させる。

ところで近所の藤の花が、そろそろ咲き始めた。風向きによって、とてもいい香りがする。来週あたりが満開。楽しみ。

2006/4/21(金)           雀の集まる木
帰り道で見かけた、可愛い花。同じ木で花の色違いが並んでおり、とてもきれい。
植物には疎いので、なんという花だか不明。
夕方この下を通ると、雀が沢山いるらしく、チュンチュンチュンチュン鳴いている。
雀って、どうしてあんなに可愛いのだろう。フランスでは「空飛ぶネズミ」と呼ばれて、嫌われているらしいが。
何故「ネズミ」扱いかというと、不衛生だから。野生の鳥だから、まあ仕方ないね。
でも警戒心が強い鳥だから、そんなに人間に近寄っては来ないと思うが、フランスの雀は人懐こいのか?
ちなみに日本の雀スイスの雀フランスの雀。似ているけれど、ちょっとずつ違う。

2006/4/20(木)           忘れられない一日
以前よりも、電車内で飲み食いする人を多く見かけるようになった。女性の化粧も、時々見かける。
これらには賛否両論あって、「迷惑かけてないからいいじゃないか」「いや、みっともない、恥ずかしい」
両者の意見は、永遠に交点を持たないだろう。両者の「恥」の感覚が異なるのだから、絶対に無理なのだ。
私はというと、車内での飲食も化粧も、見ているのも好きではない。車内では眠るか、読書をする。あの揺れは、実に心地いいから。

日本が誇る「恥」の文化がなくなりつつあることに気づいている人は多いはずだ。その類の本も、多く見かける。
では、一体いつから「恥」の感覚が変わってきたのか。私は、それは1971年7月20日だと、勝手に思っている。
この日は、検索すれば、必ずひっかかる。銀座にマクドナルド1号店がオープンした日だからである。

私はニュースで、マクドナルドが銀座三越の1階に開店したことを知った。テレビ画面には、多くの利用者が映っていた。
私はその様子を見て腰を抜かしかけた。みんな歩きながら、ハンバーガーを食べたりシェイクを飲んだりしている!!
歩きながら物を食べる人を私は知らなかったし、食事は食事をする場所でとるものだと思っていた。
そのルールを無視した人たちを見た瞬間、私は「恥ずかしい」と感じた(実際親に「あれは恥ずかしい」と訴えた)。
あの瞬間に、日本人の恥の概念は大きく変化したのだ、と私は信じている。そのくらい、私にとっては衝撃的な映像だった。
「あの日」が「その時」なのかどうか、本当のことはわからない。どちらにしろ、私にとっては、忘れられない一日なのであった。
高度成長期が終わって、日本も徐々に豊かになってきていた時代。
日本よりも豊かだと思われていたアメリカの文化を踏襲して、みな彼らのように豊かになろうとしていたのだ。
敗戦により植えつけられた欧米への劣等感、それが海外の文化を良いか悪いか検証することもなく受け入れる素地を作っていたのも原因の1つだろう。
まだ「舶来品」などという言葉が一般的だった時代だ。外国のものは、全て良いものだと思っていた人は多かったに違いない。
天下の大通りで歩きながら物を食べることへの批判を、私はテレビなどで聞いたことなどなかったのだから。

誤解されては困るが、私はアメリカ人が歩きながらハンバーガーを食べても、別に恥ずかしく思わない。彼らには彼らの文化がある。
ローラースケートで走りながらコーラを飲むのも、路上にラジカセ置いてダンスに興じるのも、彼らの文化の1つである。
しかも、彼らにはとても似合っている。格好いいとさえ思う。しかし、日本人にそれが合うかというと、素直に頷けないものがある。
そんな風に思う私も、感覚が麻痺しているな、と感じることがある。人は易きに流れるものなのである。

一度失ったものは、元には戻らない。それをよく肝に命じておくべきだ。

2006/4/18(火)           銭湯の快楽

黒く見えるのが湯の花。
よく温まる、いいお湯。
実はなんと、私は家の風呂を2年ほど沸かしていない。銭湯に行きつけてしまったら、もうホント気持ちよくて、
そればっかりになってしまった。シャワー程度は使うけど。
温泉だけでなく、どうも私は風呂が大好きらしい。しかし親も太鼓判押すくらいの怠け者なので、管理が面倒。
風呂掃除、ウザー。銭湯のが、面倒がない。
あちこちの銭湯に入り倒す楽しみもあるし、これだから風呂めぐりはやめられん。

そんな感じで、あちこちの銭湯に入っているのだが、先日入った銭湯のお湯が、どうもあやしい。
なんだか鉱泉のようなのである。井戸水を使用しているのだろうが、きちんと分析すれば、それなりの結果が出そうなお湯だった。
番台の人に聞いてみたが、関心がなさそうだった。カランをひねると、透明なお湯の中に、黒い湯の花がうようよしているんだよ!
どう見ても水垢とは違う(水垢だったらコワイ)し、カルシウムっぽい味がした。
こんな発見もあるんだなあ。これだから風呂めぐりは(以下略

2006/4/17(月)           駅前で歌う人たち
大きな駅のコンコースや近くの広場などで、よくギター抱えてアマチュアミュージシャンが歌っている。
ゆずもどきのようなのから、アンプまで持ち込む本格派まで様々だが、そのプレイヤーによって当然だが集客力が違う。
大道芸なども、口上一つで面白さが違ってくるので、音楽も何か人を惹きつけるものの有無はあるだろう。
私は立ち止まって聴いたことがないので、よくわからない。

先日も高校生だか大学生だかの若い男の子が2人、ギターを弾きながらがなっていた。
横を通り過ぎる、部活帰りの男子中学生軍団。そのうちの1人、一番幼い感じの坊主頭の子が、
「あれ、恥ずかしくないのかなー」とぼそっとつぶやいていた。シビアな子供の意見というのは、ぐさっとくるものがある。
しかし、がなっていた2人には聞こえなかったに違いない。ま、聞こえないほうが、いいこともある。

2006/4/16(日)           長いエスカレータ
所用があって、小雨降る中でかけた。
行く先の駅には、長い長いエスカレータがある。これに乗るのが、いつも楽しみだ。
昔は日本一の長さだったはずだけど、今の時代だから、もっと上がいる。
なんと日本一は、徳島県にあるらしい。全長68mらしいが、こういう数字って比べるものがないと、ピンとこない。
で、今日乗ったエスカレータの長さを調べてみたんだが、駅の公式サイトを見ても載っていない。
駅はこういう情報を載せてくれないとなー。体感時間で、少なくとも2分以上はかかった長さだった。

エスカレータ情報を調べていたら、こんなサイトを発見。螺旋式エスカレータなんてものがあるのか。
技術の進歩はすごいなあ。

2006/4/15(土)            夏タイヤの時期
スタッドレスから、ようやく夏タイヤに変えた。先週やろうと思っていたが、天気が悪くて延期した。
夏タイヤからスタッドレスに変わる時には、あまり変化を感じなかったのだが、
スタッドレスから夏タイヤに変えると、ブレーキの効きが良くなるように感じる。

帰りにお蕎麦を食べて帰った。注文したのは天せいろ、その天婦羅が左。
一番左にある細いかきあげのようなものは、蕎麦の天婦羅。これがカリカリして、結構いける。
いいねー、これ。簡単だし。そういえば、スパゲッティ揚げて塩をまぶしたのも、美味しいものね。
今度は精進揚げメニューに、蕎麦も加えてみよう。素揚げにして七味まぶしても美味しそう。

2006/4/13(木)            夏の思い出
はてなのダイアリーで小谷野敦氏が、江間章子・中田喜直の「夏の思い出」について書いている。
勝手に尾瀬の思い出を語っている歌詞だが、日本中の人が尾瀬へ行ったことがあるわけでもなし、
普遍性のない歌詞で、なぜここまで有名なのかわからない歌だ、ということだ。なるほど、確かに。
しかし私は、同じ江間章子の「花の街」のほうが、もっとわからないのだ。
「夏の思い出」は勝手に尾瀬の思い出を語るだけ、まだまし。「花の街」に至っては、何を言いたいのかすらわからない。
この歌は母が好きで、よく口ずさんでいた。「いい歌ね」と母が言うので、幼い私は歌詞の意味が全くわからなかったのだが、
大人になればわかるのだろうと思い、深く追求しなかった。あの頃の母の年齢を過ぎたが、やはりまだわからない。
この歌詞には、ほんわかしたパステルカラーの雰囲気の他に、何か隠された趣旨があるのだろうか。

私はゲージツというものに疎く、特に前衛物は苦手だ。その作品を見て、何を言わんとしているのかがピンとこない。
そんな私でも、きちんと説明されれば理解できる。それが、とってつけたような表現方法や趣旨でなければ。
オノ・ヨーコの作品もよくわからなかったが、ある日解説を読んでいて目から鱗が落ちたことがあった。
またゲージツとは違うが、映画「エクソシスト」は単なる悪魔祓いのホラーではなく、隠されたメッセージがある、というのも、説明を聞いて理解できた。
だから「花の街」の歌詞にも、わかる人はわかるものがあるのかもしれない。ぼんやりした自分が気づかないだけで。

ところでそんなわけわからん歌をよく口ずさんでいた母は、ビートルズが嫌いだ。何故かというと、歌詞が英語でわからないから、というのだ。
それならアメリカのオールディーズやプレスリーだって同じではないか、と言うと、あれらはグループサウンズなどが日本語で歌っていたからわかる、という。
むりやり日本語になおしているのだから、オリジナルとはかなり違うものになっている、などと野暮は言うまい。
ただ、ビートルズの英語の歌詞がわからないから嫌いだ、という人が、あの意味不明な歌詞の歌が大好きだということは、
あの歌詞の意味がわかっているということになる。理屈っぽいけど。

しかしながら私は、母がプレスリーやパット・ブーンが好きだというのは、歌詞がわかるからではないと思っている。
自分の若かりし頃を、共に過ごした歌だから、好きなのだ。つまりはノスタルジーというやつで、それならば納得できるのである。
きっと母は、「花の街」の歌詞の意味は、よくわかっていないに違いない。

2006/4/12(水)          サウスパークへ行こうぜ!

私の好きなアニメのひとつに、「サウスパーク」がある。
詳細はリンク先を読めばわかるけど、一見可愛らしい絵柄なのに、内容はすこぶる過激。
放送禁止用語連発だし、かなり危険な内容のものもある。
可愛いキャラクターでグロい内容のアニメと言えば「Happy Tree Friends」だが、あれとはまた違う。
フレッシュな時事ネタが多く、ひどい内容ながら、真理をついている部分も多い。
照れ隠しのようにブラックなギャグで表面を覆っており、アメリカのツンデレアニメだと思っている。

内容もさることながらキャラも結構好きなので、左のようにいくつもグッズを持っている。
先日このリュックを持って電車に乗ったところ、向かいの席に座っていた若い女性達が、
「あのリュックいいね〜」とか言っているのが聞こえた。
内容を知ったうえで、言っているのかどうかが気になるところ。


2006/4/11(火)           レンタル鯖のトラブル
いやー、まいりました。私がサーバーを借りているXREAの上位レジストリがヘマやってしまって、
しばらく観光局にアクセスできませんでした。本家のアップも出来なかったし。
というわけで、誰も読んでいない日記ながら、一応普通に謝ってみたりしてみる。

実は仕事で些細なトラブルが続いており、気分が憂鬱である。そんな中、通勤路に、一輪の花。
誰かが置いたのだろう、かわいらしく置かれていた。ちょっとだけ、心が和んだ。

2006/4/7(金)
私が以前通っていた自動車教習所の先生で、「一方通行」と「そのまま進入してよし(だったっけ?とにかく一方通行と色が逆のやつ)」の区別が、
どうしてもつかない・・・というか、覚えられない人がいた。教習所の先生なのに。
それでは困るのでは?と聞くと、道路状況を見ながら、その都度判断で問題ないそうだ。しかし路上ではなく、教室などで見せられると、判別できない。
また、知人で「右」と「左」の文字の区別が、とっさに出来ないことがある人がいる。しばし考えてしまうのだそうだ。

このように、日常生活に大きな支障をきたさないまでも、どうしても覚えられないことってあるものだ。
で、自分の場合は何か?と、しばし考えてみたら・・・あった、あったよ。性染色体。これが苦手。
なぜか知らないが、どうしても覚えられない。xxが女性でxyが男性なんだよね。これが、ごちゃごちゃになってしまう。(これを書くにも検索で確認)
こんなの、自分の性で覚えればいいようなものの、それでも覚えられない。なぜだ、なぜなんだ。落語の寿限無ですら覚えられたのに。

でも日常生活に支障が無いので、やっぱり覚えられない。きっと一生覚えないんだろう。自分の体を支配している染色体なのにね。なんだか不思議。

2006/4/6(木)            久々にツボにきたニュース
“空手の秘伝書”求め…武道家一族雪山で遭難
マタギで知られる青森県西目屋(にしめや)村の白神山地近くで4日夜、シンガポールから来日した中国系武道家一族ら13人のうち男性3人が雪道に迷い、
5日未明に弘前署に保護された。シンガポールで道場を経営していた武道家の遺族らで、「遺言で日本の空手の伝承者に会えと言われ、
探しているうちに迷った」と説明しているという。
弘前署によると、一行は5年前に病死した武道家の妻と息子2人とその友人たちで、3月22日に来日し、4月3日に青森県入り。
まずは下北半島の霊場・恐山などを訪れ、続いて白神山地方面へ転進した。
「白神の『神』の字に興味をひかれたようだ」(捜査幹部)。寒さで体調を崩した4人を除き、4日午前から3人ずつ3班に分かれて伝承者の捜索を開始。
途中までバスで進み、武道家の長男を含む班は徒歩で山道に分け入ったが、あえなく遭難した。「1メートル近い雪が積もっており、道と畑の境目が見えなくなっていた」(同)。
長男らは午後7時ごろ、仲間の携帯電話に「雪道で進めない。道に迷った」とSOS。仲間が地元観光協会の通訳とともに弘前署に届け出て、5日午前1時過ぎに救出した。
3人は野菜畑にあった廃車の中で暖を取っていた。「来日前、日本は20度くらいと聞いていたようだ。半袖で来日し、日本で長袖を買ったが、それでもかなり軽装だった」(同)。
亡くなった武道家は、2人の息子が武道に興味がないうえ、道場にあった“空手の秘伝書”も弟子に盗まれたことから、
死に際に「日本の北端で、山中で修行する極真空手の伝承者がいる。会って秘伝書を譲り受けよ」と遺言したという。
一行は「もう少し探してみます」と話しているが、捜査関係者は「地元で武道家の話なんて聞いたことない。また遭難されても困る。正直、あきらめてほしい」と苦り切っている。

zakzak 2006年4月6日より引用

なんつーニュースだ。聞いた途端、スペクトルマンとか仮面の忍者赤影なんかを思い出してしまった。
「白神の神の字に興味を惹かれたようだ」ったってねえ。そんなこと言ったら、日本なんて、あちこち神だらけよ。
あんな豪雪地帯に半袖で挑もうなんてのもすごすぎ。下調べ、甘すぎだって。雪を見たことない国の人たちだからと言ってもねえ。
30年前や40年前だったら、こんなストーリーも実際にはありかもしれない。でも現代の情報化社会で、これはないでしょう。
あまりにもお間抜けすぎて、朝から腹がよじれそうだった。ちなみにこの西目屋村には、結構いい温泉が沢山ある。

2006/4/5(水)
仕事が忙しくて、サイトの手入れまで手がまわらない・・・。
本家の更新が滞ってしまっている。いかんなあ。なんとかしなければ。
仕事だけでなく体調も崩してしまった。昨日銭湯へ行った帰りに歩いていると、突然のめまい。
右に左に揺れながら、なんとか家にたどり着く。一晩寝ても治らないので、揺れながら病院へ。
耳鼻科で眩暈に関連した検査を色々としてもらったのだが、かねてから興味を持っていた
フレンツェル眼鏡をかけた検査を実施。
端から見ていると遠視用眼鏡のものすごい奴という感じだったのだが、やはり眼鏡の向こうに見える先生の顔はぼやけまくりだった。
結局原因はわからず、私は今も揺れていますw

2006/4/3(月)
今日は新入社員君たちが初出社の日。あちこちで、それらしい人を見かけた。
初々しいなあ。自分にも、あんな時期があった筈だけど、もう忘れた。昔過ぎて。
しかし自分の仕事に関係する新しい人は来ないので、今日もいつもどおりに黙々と仕事。
いつもと同じ日常がすぎていく。大きな変化のない日常。

そしてテレビをつけると、殺人やら事故やらの、非日常が沢山ある。改めて、変化のない日常の価値を思い知る。

2006/4/2(日)
今日は珍しくテレビを見ていて、驚いたことがいくつもあった。
まずは、
都バスが1台1988万円もするということ。約2000万円ですぜ、旦那。2000万円。
私の乗っている国産車が10台以上買える値段ですよ。びっくりしたなあ。
その番組はクイズバラエティで、ユンボ・清掃車・霊柩車・都バスを高価な順番に並び替えろというものだった。
私の予想は、ユンボ→霊柩車→清掃車→都バスだったのだが、大はずれ。
正解は、都バス→清掃車→霊柩車→ユンボの順番だったのだった。

もう1つは、久しぶりに大食い番組をやっていたこと。今回は女性ばかりだが、男性に負けないくらい食べる、食べる。
特に優勝したギャル曽根(20歳)、すごい。車海老100本食べて、余裕の表情だった。
自分が彼女と同じくらいの年齢だった頃、1ポンドのステーキを食べ切れなかったことを思い出した。
それから3位のナース嘉数は、インリンに似ている。2位の岩田さんは、ますます赤阪尊子に似てきている。
34kgのエステティシャンも惜しかったなー。また挑戦して欲しいものだ。
私はテレビ東京の大食い番組は第1回から欠かさず見ているくらい好きなので、復活してくれて嬉しい。
そして大食いを見るたびに、夭折したナンシー関を思い出す。

2006/4/1(土)
用事があって、車を出す。
いい天気で、あちこちお花見の人でいっぱい。浜離宮の近くの歩道橋は、人で溢れていた。
あの歩道橋に、あんなに人が沢山居るのを、初めて見たかもしれない。

赤羽橋交差点から臨む東京タワー。ここからの眺めは、夜も昼も本当に美しい。
銀座方面から晴海へ向かって運転していて驚いた。晴海の交差点の先に、新しい道が出来ている!
晴海の交差点から豊洲やお台場まで、迂回しなくても行けるようになっていた。
ゆりかもめが豊洲まで延びた関係なんだろうが、いつ出来たんだろう?早速進路変更して、走ってみる。
さすが新しいだけあって、道もきれい。新豊洲駅を通過して、豊洲の交差点へ。
建築中の巨大な建物もあった。あれは一体何なんだろう?

どんどん道が変わっていくなあ。カーナビのDVDは、いつ頃買い換えたらいいのか、心配になってきた。
桜もそろそろ終わり。今日は暖かかったし、みんな桜は楽しめたでしょうか。
通勤経路に桜並木があるので、あえてお花見に行こうとは思わないけど、
沢山の人が桜の下で楽しそうにやっているのは、ほのぼのしていいね。

 

湯でたこの温泉めぐりへ>>湯でたこ観光局へ>>過去ページへのリンク