2006年6月
2006/6/28(水) 美意識 |
具志堅用高の亀田3兄弟に対するコメントで、亀田側がぶち切れている。しかしながら、具志堅の言っていることは全くの正論であって、反論しても分が悪いだけだろう。電通が絡んでいる興行のようだが、真剣にボクシングに打ち込んでいる人間から見れば、あんな茶番は許せないわけだし、一般人から見ても気分はよくない見世物だ。 「子供に見せたくない番組」というアンケートでは、毎回ロンドンブーツの番組が1位となるようだが、亀田兄弟の番組がランクインしていなかったことに、私は驚いてしまったくらいだ。私はすぐにチャンネルを変えてしまうが、ああいうのが好きで観ている人も多いということか。 しかし、ああいうヤンキーくずれの人たちの美意識というのは、どうも馴染めない。試合が終了した後、リングで歌ったり(これは具志堅氏もよくないと指摘していた)、辰吉などは必ず自分の子供をリングに上げる。普通の人なら絶対にやらないであろうことを、彼らはわざと行う。それが格好いいと本気で思っているのだろう。全然格好いいとは思えないが、そういう箴言をする人も周囲にはいないだろうし。数日前に産経新聞が「全てが美しくない」と亀田兄弟の興行について書いていたが、やはり美意識が違うのである。 故ナンシー関が「横浜銀蝿的なものを必要とする人は、いつの時代も一定の割合で必ず存在する」と書いていたが、本当だな(銀蝿と亀田は、少々ベクトルがずれるのだが、全く違う方向を向いているわけではない)。そしてそういう人たちに対する世間の目の厳しさも、同じように存在するはずなのだが、最近は「個性の尊重」という概念に押しつぶされて、自浄作用が働かなくなってきているような気がする。悪目立ちは個性ではないということを、再認識しなければならない。あそこまで羽目を外さないと発揮できない個性なんてものは、もともと個性ではない。本物の個性は同じ制服を着て同じ髪型をしていても、その人からオーラのように出てくるものだ。見てくれやパフォーマンスなんて、本物の個性の前ではかすんでしまう。 カリスマ性とは、そういうものだ。 ところで、ああいう独特の美意識を持つに至る人になるというのは、生育歴によるのだろうか。教育?それともDNA? ガキの頃から親に強引に茶髪に染められて後ろ髪だけ長くさせられて、小学生なのにピアス開けられたり、親の普段着がラメの刺繍入りのジャージだったり、ダッシュボードの上に白いファーが敷いてあったりハイビスカスが飾られていたりする環境で育ったら、自分もそうなっていたのかな。でも血は水よりも濃いって言うし。どうなんでしょ。 |
2006/6/26(月) WC日本終了 | |
![]() 雨の日は屋根のある場所で |
ようやくWCが終わった。終わってないけど、日本の試合は終わった。 実は自分はサッカーには興味がない。どちらかと言えば、苦手なほうだ。ゲームはともかく、あの大げさなアクションやパフォーマンスが嫌いだ。私の感性には合わない。武士は三年片頬とまではしなくてもいいが、もう少し感情を抑えられないものなのか。 そんな自分でも、今回の日本の代表チームは気にかかった。チームのメンバーすらろくに知らない私でも、ばらばらだなーというのは感じていた。試合の最後まで諦めないで走りぬくこともしないし、WCに出られただけで満足しちゃってるのか?とすら思えたし。 あちこちの掲示板やブログで、チームの不仲が今更のように語られている。私は中田という選手は好きではないが、それでも今回の中田には同情を禁じえなかった。あの中でたった一人孤立するって、どんな気持ちだろうか。しかも一番真剣に試合のことを考えているのに、その気持ちが皆にうざがられてしまうという皮肉。人付き合いは下手そうだが、彼は彼なりに一生懸命やったはずだ。でも通じなかった。 皆にとけこめなくて、たった一人で準備運動する中田を見ていると、一体何がいけなかったのだろうと考えてしまう。中田が悪かったわけでもないし、他のチームメイトが悪かったわけでもない。まとめる人間が不在だったことが、今回の日本の敗退の一番の原因のように思えてしまう。サッカーの試合などよりも人間模様を垣間見たようで、なんとも後味の悪い(私にとっては)WCだった。 |
2006/6/22(木) Kids goo |
「Kids gooはじかれサイト同盟」というのがある。「Kids goo」とは、子供がインターネットをする際に、アダルトや暴力など所謂「有害サイト」が閲覧出来ないように、フィルタリング機能を持った子供向けのポータルサイトのことである。 サイトやブログなんてものは星の数ほどもあるので、殆どが機械的に処理されているのだろうが、フィルターに偏りが多いとも言われている。多少は人間の考えも入れているのだろうか。一体どうやって選別しているのだろう。思想的に偏りがあると思われても、仕方がないようなラインナップ。 私のお気に入りのサイトやブログは、実はこのフィルターに引っかかっていることが多い。で、このフィルターではじかれているサイトやブログなどに「はじかれサイト同盟」のバナーが貼られていることがある。勿論自嘲的な意味で貼ってあるのであって、本気ではじかれているのを気にしているわけではない。お遊びみたいなものですね。 サイトを運営している身でありながら、今まで全く自分のサイトのことは気にしたことがなかったのだが、ふと何となくKids gooで検索してみた。 「湯でたこの温泉めぐり」は・・・おお、出る出る。ちゃんと表示されている。子供がこんな温泉情報なんて見るのかどうかわからんが、子供が見ても大丈夫と判断されているわけだ。と思ったら、クリックしたら「ごめんね ページがひょうじできませんでした」 「湯でたこ観光局」は・・・・「このページはひょうじしません」 ( ゚∀゚)メ(゚∀゚ )ノ アヒャヒャヒャ 有害指定されましたあ〜!子供に見せちゃいけない内容があるんですかね〜、一体どこだろ?好き勝手なこと書いてるからか?エロや暴力などは全く載せていないんだが、内容きわどいですかね。まあ、この日記の内容なんぞは正直言ってどす黒い部分もあるんで(根の暗さがよく出ているね!)、そういう部分かな。それともただ単に、激しくつまらないからか? エログロなしではありますが、成人向けと認定されたと思っていていいのかな?そもそも子供向きに書いてはいないんで、全く気になりませんが。成人仕様の観光局および温泉めぐり、今後ともよろしく。 |
2006/6/18(日) セセキ温泉 |
海の露天・羅臼町の瀬石温泉 マナー最悪、地元怒り噴出 「限界」管理人辞める 知床の世界自然遺産登録地内の波打ち際にあり、海に沈む露天の磯湯として知られる根室管内羅臼町の瀬石(せせき)温泉が、観光シーズン最盛期を前に、管理人不在の事態に陥っている。遺産登録や人気テレビドラマのロケ地になったことで利用者が増え、それに伴い利用マナーも悪化。同町から管理を任されてきた隣のコンブ番屋の漁業者が、コンブ干場を荒らされ「我慢も限界」と管理人を断ったからだ。 同温泉は羅臼町市街から約二十キロ知床岬寄りの海岸線にある無料の塩泉。岩で囲んだ浴槽は満潮時には水没し、湯がぬるくなるため、同町は六−九月の間、コンブ漁で番屋に泊まり込む漁業者に管理を委託してきた。管理人は、干潮時にポンプで海水をくみ出し、波とともに入ってくる石や砂をかき出している。 ところがフジテレビのドラマ「北の国から2002遺言」のロケ地として有名になり、世界遺産ブームも加わって観光地化。マナーの悪い利用者も増え始めた。 昨年まで管理を委託されていた漁業者は「無断でコンブ干場に車で入り、テントを張る。番屋のトイレも勝手に使う。悪気はないかもしれないがあまりに非常識」と怒り心頭。漁で忙しいこともあり、今年は町に管理人の返上を申し出た。付近には、ほかに人が住んでいないことなどから、町は管理の委託をあきらめ、入浴したい人は自力で海水をくみ出すのもやむなし−との判断に傾きつつある。 同町内では、同じく無料温泉として知られる知床横断道路脇の「熊(くま)の湯」でも地元住民と観光客のあつれきが絶えない。「土足で洗い場に上がり、裸の写真を撮っていく。怒る気にもならない」と住民はあきれる。 羅臼町の観光客は世界遺産に登録された昨年、前年比6%増の七十六万人に達した。しかし、産業は漁業が中心で、同じ知床でも観光が大きな比重を占める網走管内斜里町とは対照的だ。五月には、脇紀美夫町長が漁港内で観光客がキャンプした例などを挙げ、「マナーの悪いハイヒール観光客はいらない」と発言、「よくぞ言った」と住民から支持する声が出ていた。 北海道新聞web 2006/06/15 14:12更新 私が数年前セセキ温泉へ行った時には、ちょうど清掃中で入れなかったので、実は未だに入っていない。 どうもこのまま入れなくなってしまうみたいだが、それでも私は構わない。地元の人がどう感じるか、どう考えるのかが一番大事だろう。あくまでも地元の人の意見を優先してもらいたいので、今回の町の判断は支持する。 しかし、温泉の管理をやめて、 >無断でコンブ干場に車で入り、テントを張る。番屋のトイレも勝手に使う。悪気はないかもしれないがあまりに非常識 という状態は改善されるかどうかが心配だ。セセキ温泉がなくても知床半島は知名度の高い観光地であることにかわりはないので、相変わらず常識はずれの観光客は来るのではないか。それとも、相泊のほうへ流れていくか。どうだろう。 知床半島はただでさえ一大観光地だったのに、世界遺産に指定されてますます観光客が増えた。入ってくるお金は増えたかもしれないが、その分余計な苦労が大きくなっただろう。それらは比例するものなので、仕方がないかもしれないが、一体どちらが地域の人にとってよかったのか。昆布漁などで十分に稼げていたのなら、今までのほうがよかったと思う人が居ても不思議ではない。 そういえば以前旅番組で、タレントのU・Tが知床の昆布漁の水揚げの様子を見学するという場面があったのだが、なんと水揚げした昆布を一枚くれと漁師に言っていた。あまりの図々しさに絶句したものだが、結局もらって帰ったようだ。おそらくテレビ局が漁師を説得したか、料金を払ったのだろう。羅臼の昆布は高級で、かなりの値段である。それをただでくれと平気で言って、そんな図々しい要求が通ってしまうような放送をすることには問題はないのか。漁師は昆布とって食っているのだ。これは金よこせといわれたのと同じことだ。カツ上げと何の違いがあるか。 知床半島では吉本の芸人も問題を起こしているし、マスコミ関係でも色々と受難なようだ。 |
2006/6/16(金) Roman Holiday |
「勝手邦題」という人気サイトがある。その映画にぴったりな「邦題」をつけましょう!というものだが、これが面白い。洋画に限らず邦画まで手を伸ばしており、黒澤明の「生きる」が「やっとはたらくおじさん〜公務員公園整備の巻」などとつけられていたりする。 まあ確かに今の映画の題名は手抜きが多いように思う。昔は良かったという話となると、年寄りの常套句になってしまうが、昔の映画の邦題は、やはり秀逸だった。日本語に忠実に訳しただけでも、十分その雰囲気が伝わってきていた。「裸足の伯爵夫人」「鉄道員」とかね。言語の意味に完全に忠実ではなくても、「刑事コロンボ」のような名訳もある(原題では「刑事」ではなく「警部補」というらしい。語呂が悪いので、刑事となった)。 映画事情が昔とは変わってきたという仕方のない事情もあるだろう。「マトリックス」のように、うまく日本語で表現できない概念もあるし。「ジョーズ」のように、無理やり訳さないほうがいい場合もある。でも「リバー・ランズ・スルー・イット」なんて長いカタカナ表記の題名は、やはり集客力がないように思える。「スタンド・バイ・ミー」くらい、覚えやすければいいけれど。 日本人に大人気の映画のひとつに「ローマの休日」がある。これは原題「Roman Holiday」の直訳。この邦題もとてもいいと思うのだが、以前読んでいた雑誌で、「これは原題のRoman Holidayのままにすべきだった」という英語の専門家の意見が載っていたのを、読んだことがある。なんでも「Roman Holiday」というのは英語の慣用句の一つであり、「他人を犠牲にした楽しみ」という意味になるのだそうだ。昔ローマの貴族達が、コロシアムで犯罪者とライオンを戦わせたりして、その様子を見物して楽しんだことによるらしい。 その意味を含めて映画を観ると、確かに主人公のアン王女は、色々と他人を巻き込んでいる。特に護衛は、後ほど王様からこっぴどくお叱りを受けただろう。 しかしだからといって、私はこの映画の題名が「Roman Holiday」のほうがふさわしいとも思えない。慣れもあるとは思うのだが、やはり「ローマの休日」のほうが、ずっといい。 確かに英語の慣用句の意味を知っていると、違う見方が出来るかもしれない。でもそれは、この映画に関しては、とても些細なことに思えてならない。何故この映画が、こんなに人気があるのかを、この英語の専門家(誰だったか忘れた)は、よく理解できていないのではないかとすら思う。 自由のない王室の暮らしにうんざりして、たった一日限りの自由を楽しむアン王女は、本当に嬉しそうだ。自分の思い通りに髪を切ることも出来ないし、ジェラートの買い食いなんてとんでもないことだし、市井の男性と話すことも初めてだったかもしれない。一般人の私達にとってはどうということのないことを、生き生きと楽しんでいるヘプバーン演じるアン王女を見ているだけで、本当にこちらまで幸せな気持ちになれた。人生でたった一日の休日。最後の記者会見の場面は本当に胸を打つ。本当にコピーのとおり「永遠に続くたった一日の恋」で、この日のことはアン王女の胸に、いつまでも残るに違いない。 特に日本には皇室があるので、そのような世界で暮らす方の「窮屈さ」は、みんなよくわかっている。ヘプバーンの清楚な美しさ、グレゴリー・ペックの格好よさ、ローマの町の美しさ・・・もうそりゃあ様々な要素が絡み合って、日本人に長く愛されているのだと思う。 おそらくこの映画が好きな人の殆どは、「Roman Holiday」にそんな意味があるなんて、知らないだろう。でもそれでいいではないか。「ローマの休日」は「Roman Holiday」ではない。英語の慣用句の意味など知らなくても、十分楽しめるし、感動も出来る。英語を常用しない生活を送る多くの人にとって、その慣用句の知識はトリビア程度の意味しか持たないし、知っていたからといって映画の感動が特に大きくなるとは思えないし。 でも一つの言語を学ぶというのが、本当に大変なのだということは、この専門家の話でよくわかった。「Roman Holiday」の薀蓄は、どこかで使えるかな。 でも、こんな薀蓄披露する奴、イヤだな。 |
2006/6/15(木) ワールドカップかぁ・・・ |
毎日書かないし自分の日常のことは書かないし、日記ではないではないか、と言われかねない内容で、細々と続けておりますが。誰もこんなもの読んでいないだろうし、という甘えもありますが、そもそも私の日常なんて、つまらないですから。仕事と家の往復と、あとは週末にちょこっとお風呂に行ったりするくらい。平凡の王道を行くような生活を送っている。 自分の日常を思い起こしてみると、ドラマチックな出来事なんて、全くと言っていいほど、ない。そして、それでいいと思っている。 たまに思いついたことをメモ代わりに書き留めておくという、殆ど自分のためのページであるが、そもそも最初からそのつもりだった。湯でたこのページのメインは、あくまでも温泉。こちらはサブであるし。 本当だったらワールドカップの話題でも出すのがこの時期当たり前なんだろうけど、実はスポーツ語れるほど興味もないし、理解していない。 そんな私でも、前回のワールドカップと今回のワールドカップの盛り上がり方が違うな、ということは感じている。前回は日本が会場だったから、やはり盛り上がりもちがったのだろう。中津江村の件とか、そういう細かいことで、いちいち盛り上がっていたような気がする。今回ははるか彼方のドイツ。遠すぎる。やはり前回のように、盛り上がりを感じることができないのも無理はないか。 前回は日本がホスト国だということで、かなり細かい取材が出来ていた。本来の取材ではなく、サポーターとかの取材ね。個人的に一番面白かったのが、イングランドのサポーターが、どこかの中規模の旅館に宿泊した様子をリポートしたものだった。宿の女将さんが満面の笑顔でお出迎えして、和室の説明などをたどたどしい英語で、一生懸命行っていた。夕食の時には蟹のグラタン(蟹の殻にはいっているやつ)なんかを説明して、「外国のお客さんに食べやすいように頑張ってみたんだけど、どうでしょうか?」と、やはり悪意のない笑顔で尋ねていた。 なんつーか、出鼻をくじかれたんじゃないだろうか、イングランドのサポーター。自分の母親くらいの年齢の女将や番頭、その他の従業員に悪意なく歓迎され、心からのおもてなしだよ。あれじゃ暴れようにも、暴れられないでしょう。「歓迎されたのは初めてだ」って言ってたし。 ああいう些細な情報が一つはいるだけで、ゲームを見る際の興味も違ってくるように思うが、どうか。やはりホスト国というのは、他の参加国よりも盛り上がって当然なのだろうな。 |
2006/6/12(月) カーストとは |
西原理恵子「人生1年生2」のロングインタビューを読んでいたら、最後に唸らされる一言があった。 西原の母親はアルコール中毒の男性(西原の父親)と結婚し離婚した。西原も、アルコール中毒の夫と離婚した。そして西原の娘が我が家を仕切って、今の自分と母親のように喧嘩するような、同じ道をたどるのではないかと言っているのであるが、インタビュアーが「また因果が巡る」と言うと「一生抜け出せないね。これがカーストっていうんです。貧しさというのは、こういうことを言うんですよ」と西原は答えるのである。 なるほど。カーストねえ。確かにそうだ、これがカーストっていうんだろう。最近は格差社会が話題になっているけれど、金の面しかみていないように思う。西原のいう「貧困」とは、もっと深いものだ。私は彼女の精神が貧困だとは思わないが、「そういう風にしか生きられない」という貧困さは、なんとなくわかるよ。 最近では15歳と13歳の痴情のもつれから殺人が起こったが、ネットでは「社会の底辺の人間の犯罪」という文言を掲げていたページが多かった。上手く言葉には出来ないけれど、みんな薄々と気づいているのだ。でもそれを自分の言葉で説明できるというのは、さすがサイバラだな。 今や大金持ちのサイバラだが、依然として貧しさはあるのだろう。反対に、お金はそれ程なくても、心が安らいでいて豊かな人もいる。IT長者などをテレビで見慣れてしまって、お金が何よりも優先するという考えに慣れきってしまった人たちに、このサイバラの言葉の真の意味は届くのだろうか。 |
2006/6/11(日) 峠の釜飯、アイス版 | |
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いやー、昨日は昼寝も含めて15時間も睡眠をとってしまった。日頃の睡眠不足が、一気にやってきたという感じだった。起きてみて、尾骨の部分がひりひりと痛い。寝返りをうたないくらい熟睡していたらしく、床ずれになりかけていた。よほど爆睡していたんだなあ。 さて、先日越後まで旅行してきた帰りに、横川SAで見つけた釜飯アイス。手のひらに乗るくらいのサイズで、釜飯を模したアイスとなっている。 かわいー。まあ味は普通のアイスだが、発想が私好み。右のは、普通の抹茶アイスなのだが、これも釜入り。味は、抹茶のほうが好みだった。 空き容器は梅干でも入れるのに使おうかな。 |
2006/6/7(水) 感情のある風景 | |
諸星大二郎の作品に、「感情のある風景」というのがある。 あまりに大きな哀しみを背負った青年がある都市に行くと、そこでは誰もが「喜び」「悲しみ」といった感情を形で表していた。それは本当に形となって現れており、その人の周辺に浮遊する。どの形が喜びで、どの形が悲しみ、苦しみなのかは、皆既にわかっているようであった。 青年は心に哀しみを抱えていても、それを形として現すことが出来なかったので、他の人から哀しみを理解されない。そこで彼は、他の人と同じように、自分の哀しみ・苦しみを外へ出す処置を受ける。それによって彼の近くには大きな哀しみが浮遊するようになる。それと同時に、哀しみが自分の外へ出てしまったわけで、青年は自分の心が軽くなったのを感じていた。 しかし、外へ出てしまうのは、哀しみだけではなかった。青年の数少ない喜びや感動の思いでも、わずかなものではあったが外へ出てしまい、青年は温かい思い出までなくしてしまうことになり、後悔する、という物語である。 短編ながら、なかなか考えさせられる作品である。確かに哀しみがなくなれば、人間は大層楽になれる。しかし、心は哀しみや苦しみだけで満ちているというわけではなく、喜びが全くない人間など居ないのだ。「自分は生まれてこの方、苦しみしか味わったことがない」という人もいるだろうが、そんな人生の中にも、ささやかな幸せがあったはずなのだ。たとえば、母親に優しく抱きしめられているとか、道端の花が美しかったとか。それは、本当に幸福な人生を送っている人からすると、些細過ぎて幸福とは呼べないものであっても、別の人の人生に於いては、大切な宝となることだってあるはずだ。哀しみを失うだけでなく、ささやかな喜びまで奪われてしまうと、人はやはり後悔するだろう。 これは全くの私の想像なのだが、諸星大二郎はこの作品を「ロボトミー殺人事件」からヒントを得たのではないかと思っている。これは本当にやりきれない事件で、マニラ湾の美しい夕日を見て、感動のない自分の心に犯人が愕然とし、そして絶望を覚えるくだりは、何度読んでも胸が苦しくなる。 苦しみを減らす、という消去法の生きかただけでは、幸せにはなれない。確かにそうだろう。つまらないはずの日常でさえ、わずかでも楽しいことを追求しているほうが、やはり人生は豊かなものになるのではないだろうか。 しかし、「喜びも悲しみも全く知らない状態」という人間が、過去に多く居たらしいというのを知って、驚いた。 サイコドクターあばれ旅 私家版精神医学用語辞典「おじろく おばさ」 これは湯でたこのリンク先にもなっているサイトの一部分だが、半世紀前の日本のある地方の、驚くべき風習が書かれている。これによると、人間は環境によっては、哀しみや喜びを全くおぼえずとも、生きていくことが出来るように成長してしまうようだ。 この人たちの人生とは、一体なんだったのだろう。労働をするためだけに生まれてきたわけだが、彼ら自身が不満を持たないというのだから、そんなことを考える必要はないのかもしれないが、つくづく環境や教育が人間に与える影響は大きいのだと感じる。 もとの論文を、是非とも読んでみたいものだ。 |
2006/6/6(火) 蕎麦の里、戸隠で | |
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茶碗蒸しのようだけど、これは蕎麦プリン。戸隠のお蕎麦屋さんのメニュー。外のたて看板に「蕎麦プリン」とあったのを見て、迷わず注文。 量的には少なめだけど、蕎麦の味がかなりしっかりとしていて、なかなか美味しかった。上に乗っているのは、ミントの葉と蕎麦の実。 当然ながら甘いんだけど、蕎麦の味がしながら甘いというのも、不思議な感じがした。 戸隠といえば、蕎麦と忍者。このあたりのお蕎麦は、霧下蕎麦というらしい。 戸隠神社の周辺は、宿が沢山店が沢山あって、人も多く賑わっていた。お土産物屋さんには、忍者グッズもあり。 甲賀、伊賀と並ぶ忍者の里は、今はすっかり観光地でした。 |
2006/6/5(月) 「中央フリーウェイ」は、どこへ向かっている? |
中央道八王子付近の、たいして面白くもない景観が、こんな名曲になると予想できた人が居たとは思えない。やはり荒井由実は、天才だと感じる。 しかし、この歌を聴くたびに、この歌のカップルの乗る車は、どこへ向かっているのかが気になる。 「右に見える競馬場 左にビール工場」だと、東京から山梨方面へ向かっていることになる。しかし、「街の灯がやがて瞬きだす」と、後半で歌われるのだ。 街の灯が瞬きだすのは、やはり都会だろう。そう考えると、東京へ向かって走っていることになるわけで・・・。どっちなんだ、これ。 まあ夜になると、ライトアップされていないと競馬場は見えないし、サントリーのビール工場だってよく見えない。 そうすると、「日中は山梨方面へ、夜は東京方面へ」が正解か。デートで中央道沿線のどこかへドライブに出かけて、夕暮れに帰ってきたのかもしれない。 荒井由実は八王子の出身なのだが、八王子あたりから東京都心のビルの明かりは何とか見えるかもしれないなあ。 でもこの歌で一番矛盾してしまうのは行き先ではなく、中央道はフリーウェイではないということだろうか。仕方のないことだが。 |
2006/6/1(木) 銭湯の値上げ |
今日から東京の銭湯が値上げになった。従来の400円から30円あがって、430円となる。 一割近くだから、結構な値上げだと思われているが、考え方によってはそれ程でもない。 毎日風呂に通ったとして、30×30=900円/月 の増額だ。これを高いと見るか、安いと見るか。 今日び900円程度の無駄遣いは、みんなしているんでは?普通の喫茶店でコーヒー2杯飲んだら、なくなってしまう金額だ。 しかも入浴券を買えば、10枚で4000円。今まで現金で払っていたのと、変わらない(従来の入浴券は、10枚3800円)。 銭湯組合も、アピールが下手に思える。400円→430円というから高く感じるのであって、言い方を変えれば、感じ方が違うのだから、 「それほどでもない」と思わせるようなアピールの仕方を考えたほうがいいように思う。 2人家族までだったら、銭湯に通ったほうが安上がり、という試算もどこかにあると聞く。本当にあるなら、そのようなものを出すのも、説得力がある。 手間などを考えると、単身者などは完全に安上がりとなろう。風呂掃除って、面倒くさいもの。冬場は家の風呂だと、なかなか温まらないし。 今まで7年間値上げなしでやってきたわけで、この時代に大変だったろうと思う。値上げになっても私は通うから、今後ともよろしく。 |