戦前の幻の駅を見に行く〜新橋駅幻のホーム見学会〜
【2007年12月1日(土)】
「汽笛一声新橋を」で始まる鉄道唱歌の歌詞からもわかるように、 新橋駅というのは日本の鉄道の中でも最も古い駅の一つに入ります。 地下鉄では最初の駅ではないけれど、かなり古い時代に造られた駅となります。 その新橋駅に、現在は使用されていない幻のホームがある! 普段は営団の関係者以外は入れないその場所に、入れるイベントがありました。 ダメもとで葉書を出してみたら、当選しました!ラッキー! 硬紙の、立派な招待状が届きました・・・嬉しいなあ。 |
これは営団地下鉄80周年記念のイベントで、 150名の定員に対して、3800通もの応募があったとか。 ということは、26倍弱。すごい。よく当たったなー。 ということでワクワクしながら当日を迎えました。 新橋駅の銀座線改札近くの廊下に設けられた受付。 そこで招待状を見せて、名札などを受け取ります。 |
このように並んで皆さん待っています。 私は指定時間5分前ほどに行ったので、かなり後ろのほうでした。 大砲のようなカメラを抱えた方、小さなお子さんづれのご家族、 若いかわいらしいカップルなど、顔ぶれも様々です。 |
時間が来て、まず最初に旧ホームに作られた会議室で駅員さんの説明を聞きます。 この部屋には、地下鉄開業までの工事の様子や、開業後の駅の様子、 当時の車両の様子などの写真がパネルになって飾られています。 昔は現在のような土木機器がなかったため、かなり人力に頼っていたようです。 一輪車で土砂を運びだす人夫の写真などもあり、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 この駅は地下8mという浅さですが、人力での地下8mは大変だったと思います。 |
そもそも何故このホームが「幻の駅」となってしまったのか? 日本の地下鉄は昭和2年に浅草〜上野間で東京地下鉄道が開業。 その後上野から延ばしていき、昭和7年に新橋まで来ています。 一方、東京高速鉄道が昭和14年1月に新橋〜渋谷間を開通。 別会社でそれぞれ折り返し運転をしていましたが、 昭和14年9月に浅草〜渋谷までが直通運転となります。 その時東京地下鉄道のホームが使われたため、もう一つのホームは閉鎖に。 たった8ヶ月間しか使われず、以降は「幻の駅」となったのです。 現在は車両置き場、駅員さんたちの会議室として利用されています。 |
そしてその会議室から一歩外に出ると、このようなホームが残っています。 勿論80周年記念のプレートや、幻のホームの文字などは、 このイベントのためにつけられたものなのですが、 それ以外は当時のままで残っています。 タイルのドットで描かれた駅名表示も、当時のままの姿です。 |
ホームの一部は前述したとおり他の用途で使用されているため、 このようにとても狭くなっています。 実際はそれなりの幅がありますが、ホームの長さはやはり短い。 当時はまだ3両編成だったようで、今のように長いホームではなかったのですね。 ところで、地下鉄は地上の電車と同様に上部から電力をとっていますが、 銀座線だけはホーム下の高圧線から電力補給をしているのだそうです。 一番古い地下鉄路線なので、昔の方法なのでしょう。 |
それとは関係ないと思いますが、なぜかこのホームは少々高いのです。 電車のほうが高いというのはたまにあることですが、ここは電車が低い。 その為、この日電車の入口にはこのようなステップが置かれていました。 |
この日、幻の駅に置かれていた車両は、開通当初の車両ではありません。 日本初の地下鉄車両は、葛西の地下鉄博物館に行けば見ることができますよ。 勿論、列車の中に乗り込むこともできます。 これは以前博物館で私が写した、日本初の車両の写真。 マニアでなくても十分楽しめますので、地下鉄に興味のある方は、 一度足を運んでみてはいかがでしょうか。 |
この幻の駅は始発駅だったので、当然ながら線路は行き止まり。 その部分に、撮影台が設けてありました。 そこから電車を、真正面に見ることができます。 昔もこのように、電車が入ってきていたんでしょうね。 |
日本の地下鉄はアルゼンチンの地下鉄を参考に計画されました。 当時はアルゼンチンの地下鉄が、世界でもトップクラスだったのです。 今や東京の地下鉄は、他鉄道との相互乗り入れなどもあり、 世界一とも言える規模と複雑さとなっています。 この頃は西洋の文明に追いつけ追い越せという時代だったわけですが、 当時の人々はどのような思いで、この地下鉄と駅を見つめたのでしょうか。 鮮やかな色彩の電車が暗いトンネルから姿をあらわすのを、 きっと大人も子供もわくわくする気持ちで待っていたに違いありません。 |
「幻の新橋駅」は、わずか8ヶ月間しか使われていなかったというのもあり、 当時の面影をしっかりと宿しているように見えました。 営団地下鉄80周年のコピーは「あの日の東京も、のせている」。 初めての地下鉄に乗ったあの日の江戸っ子たちの思い出は、 この駅の壁に、柱に、プレートに今でも残っています。 そして私たちも地下鉄に乗るたびに、ホームや電車にそれぞれの思い出を 自分なりに残していくことになるのだと思います。 今から数十年後に、「今の東京」も一緒に乗せて、地下鉄は走るのでしょう。 駅や電車には、乗った人の数だけの思い出があるのです。 |