【2006年2月11日(土)】
さようなら、交通博物館〜旧万世橋駅遺構見学を兼ねて〜
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秋葉原の万世橋の横にある「交通博物館」。 鉄道少年の聖地とも言われるこの場所は、私も何度も訪れています。 大人になってからは繰り返し訪れることも少なくなり、しばらくたちました。 その交通博物館が、今年の5月14日で万世橋からなくなってしまいます。 昨年12月からさようならキャンペーン中だったのですが、その一環として 旧万世橋駅遺構の見学コースが設けられました。 幻の駅が見られる、最後のチャンス。当然、行って参りました。 |
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玄関を飾る新幹線 | SLと言えばこれ、D51 |
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見学は予約制です。当日予約も出来ますが、土日や祝祭日はすごい混雑。 飛び込みで行くのは、ちょっと無理だと思われます。 この写真のような入場パスを胸から下げ、遠足のように列を作って見学です。 |
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まずは入り口のこのホールで、6分ほどの映画の上映。 旧万世橋駅の歴史と交通博物館についてのものです。 「さようなら そしてありがとう 交通博物館」の文字がスクリーンに映ると、 不覚にも涙がにじんでしまいました。 |
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映画が終わってから、少々じめじめした感じの通路を通って、 いよいよホームのあった場所へ向かいます。 なんだかとてもドキドキします。 |
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上の写真の「まんせいばし」と書かれたプレートの横の階段を登ると、 旧万世橋駅のホームに出ます。 とは言っても、その場所の横には現在でも中央線が通っており、 外に出ることはできません。窓から見学するだけとなります。 この階段の滑り止め金具は、戦争中に鉄の供出によりなくなっています。 はがされた当時のまま、本当にそのままで残されています。 |
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階段を上から見たところ |
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さあ、ここが旧万世橋ホーム跡地!駅名表示板は、この見学のために設置されたものです。 いい演出をしてくれていますね。憎い心遣いです。 ちょうど中央線が通ったので、タイミングよく撮りました。青空をバックに、美しい景色です。 この場所に本当に駅がこのようにあったんだなあ。沢山の人が乗り降りしていたんだなあ。 なんだかじーんとしてしまいました。 |
初代の万世橋駅の設計は東京駅と同じ、辰野金吾・葛西万司によるもので、 この模型を見ると、やはり東京駅にそっくりですね。 初代の旧万世橋駅は、相当に立派な造りだったようです。 明治時代にこんな立派な建築物を作り上げたのですから、本当にすごい技術です。 その駅舎の基礎を利用して交通博物館が作られたのですが、それももうすぐ終わりなのです。 |
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交通博物館自体も、普段より賑わっていました。私も遺構見学の後、久しぶりにのんびりと展示を見てみました。 | |||
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巨大なジオラマの中を 模型の電車が走りまくり |
実際に使用されていた 新幹線の列車集中制御表示板 |
SLのプレートが壁一面に | シミュレーターは大人気! 1時間待ちでした。 |
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機関車やえもんの モデルとなった車両 |
中央の吹き抜けには 巨大なSLが2台鎮座 |
見よ!この勇姿! 本当に美しい |
若い人は絶対に知らない 修学旅行列車 |
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万世橋から交通博物館を臨んだ光景です。高架線のアーチはそのまま残っています。 メダリオンも埋め込まれ、機能だけでなく見た目の美しさも追求していたのがわかります。 交通博物館は2006年10月にさいたま市に「鉄道博物館」として生まれ変わります。 展示物はそのまま持っていくということですが、この博物館の独特のノスタルジーを、 新天地でも醸し出すことは出来るのでしょうか。 この「万世橋の交通博物館」には、私が知っている昭和がぎっしり詰まっていました。 交通博物館は交通だけではなく、それに付随するみんなの思い出も一緒に展示していたのです。 周りの風景はめまぐるしく変化しましたが、この中には一人一人の永遠に変わらない時間があるのです。 今までも、そしてこれからも。 |
さようなら、交通博物館。 | ![]() |
そして ありがとう、交通博物館。 |
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湯でたこの買ったおみやげ。 0系マグと中央線クッキーです。マグはノリタケ製でした。 やっぱり新幹線は0系だよね! |