【2005年4月30日〜5月6日】

湯でたこ東北旅行でミニSL乗車とお墓参りをする

2005年のゴールデンウィーク。昨年末を青森で過ごしたのに、またしても東北へ旅行して参りました。
温泉めぐり以外にも、多少の観光らしきものもしてみました。その記録です。

 

八郎潟干拓地で子供達に混じってミニSLに乗る

 八郎潟は以前は琵琶湖に次ぐ日本で2番目に広い湖でした。
 戦後の食糧増産目的で、その巨大な湖を干拓して生まれたのが、大潟村です。
 自然発生した村ではないので、道なども碁盤の目のように張り巡らされ
 この写真のようなまっすぐな道を気持ちよく走ることが出来ます。
 道の両脇に菜の花が植えられていて、それが本当にきれいです。

 

 大潟村にある温泉施設に行くのが目的だったのですが 
 ゴールデンウィークに合わせて何やらお祭りをやっている模様。
 そのイベントの1つとして、菜の花畑の中をミニSLで走るというのがありました。
 本物のSLをそのまま縮小したもので、東京の工業高校の作品だそうで
 1人1回100円です。
 料金を払うのに並んでいると、横入りされて順番が後回しに。
 どこでも居るんですよねえ、平気で割り込みする人って。
 しかし、そのせいで私が先頭に乗る順番となりました。ラッキー。結果オーライ。

 

 これがそのSLです。後の人の足と比べると、大きさがわかると思います。
 このSLの他に、右の写真のようなディーゼルの貨物車も走っていました。
 SLは黒光りして勇ましく、ディーゼルはかわいらしい感じ。

 

燃料は勿論石炭です。これは蓋を開けて、中の燃焼の様子を見ているところ。
小さな石炭が列車に一緒に積まれており、これはマニアでなくともわくわくします。

 

 お客さんを20人ばかり乗せて、いざ発進!
 きれいな菜の花畑の中に敷かれた線路の上を、ゆっくりと走っていきます。
 心地よい風に吹かれて、目にも肌にも春を感じながらの快適な走行でした。
 しかし先頭に乗ると、SLの蒸気が結構かかる。
 眼鏡にも飛び、ティッシュで拭いたら曇りまくり。石炭だからなあ。
 でも熱くはないので、危険ではないですよ。
 これはゴールデンウィークの特別企画なので、もうやっていないと思います。
 来年もやるのかな?

 

大潟村には経緯度交会点(経度と緯度が10度単位で交わる場所)もあります。
日本ではここだけ。一応モニュメントが建っているのですが、周囲には何もありません。
食糧増産計画で埋め立てしたものの、減反に次ぐ減反で寂しい景色が広がる村。
でもどこまでも空は広く空気はきれいで、ああ遠くへ来たなあと感じたのでした。
*あとで調べたら、交会点は他にもいくつもありました。失礼しました。
公会点のモニュメント

 

じゅんさい採りのおばあさんを見かける

 

車で走行中、偶然じゅんさいを採る人を見かけました。
船に乗って手で摘む、という話は聞いていたのですが、実際に見るのは初めて。
慌てて車を停めて、見学させていただきに。

 

 おばあさんが船に乗って、池の中を覗きこんでいました。
 なんだか船が傾いて、バランスを崩すのではないかとドキドキ。
 でもおばあさんは慣れた感じで、心配することもなさそう。
 お話を聞いてみると、今がじゅんさいの旬なのだそうです。
 瓶詰めでいつでも売られているので、旬の時期はよくわからなかったのですが
 春の植物だったんですね。

 

これがじゅんさいです。
私は実際に見るまで、じゅんさいというのは浮き草のように
水面に浮遊しているものだと思っていましたが、しっかりと根付いていました。
とても浅い池にびっしりと生えています。
というよりも、ここは以前田圃だった場所なのだそうです。
稲作をしていない時期にじゅんさいを栽培するのか、減反でじゅんさい畑にしたのか。
ちょっと東北弁のヒアリングがうまく出来なくて、そのあたりが不明。

 

 これがおばあさんの乗っていたじゅんさい採りの船です。
 以前テレビで見たのは佐渡のような丸いたらい舟でしたが、ここのは四角でした。
 もっと効率の良い方法がありそうですが、試行錯誤の末この方法に落ち着いたのでしょうから
 これが一番いい方法なんでしょうね。
 とても小さなおばあさんでしたが、そういう人でないとこの船には乗れないのでしょう。
 とても静かな光景でしたが、印象に残りました。

 

青森でキリストの墓参りをする

イエス・キリストが日本で死んでいた、というお話、皆さんはご存知ですか?
青森の新郷村には、なんとキリストのお墓があるのです!
ちゃんと地図上に「名所旧跡」として載っているのですよ。
クリスチャンではないものの、やはり行ってみるしかないでしょう、と車を走らせました。

 

 新郷村の国道454号線ぞいに、キリストの墓はあります。
 このようにちゃんと道路標示まであるのです。
 駐車場も完備されていて、既に数台の車が停まっていました。

 

お墓だけがぽつんとあるのではなく、一応公園のようになっており 
順路に従って歩くと小高い丘を登っておりることになります。
青森のキリスト伝説に関する伝承館もありますが
私が行った日には丁度休館日でした。

 

 右の写真、リースが1つ架けられているのがキリストの墓。
 左の2つリースが架けられているのが、弟のイスキリの墓です。
 キリストに弟が?まあ居ても不思議ではないのですが
 青森のキリスト伝説にはこの弟のイスキリが重要な役目を担っています。
 この墓は丘の上に向かい合うように立てられており
 墳墓を取り囲むように柵がめぐらされています。
イスキリの墓 キリストの墓

 

 これは墓のそばにある看板。青森のキリスト伝説に関して、簡単に書かれています。
 キリストは21歳で来日し、33歳までの12年間を青森で修行して、それから生まれ故郷に帰って布教を行い
 十字架に架けられたのは双子の弟のイスキリだということ。
 そしてキリストは再び青森へ戻ってきて津軽娘と結婚し、106歳の長寿を全うしたというのです。
 これは武内宿禰の子孫に当たる人(この人は茨城在住)が発見した古文書がそもそものはじまりで
 神学者が青森のイタコにキリストの口寄せをしてもらい、話をしたという記録もあるそうです。
 (日本語での会話か?!)

 

その他、戸来(へらい)という地名は「ヘブライ」が変化したものだとか
この地方は赤ちゃんが生まれてから1ヶ月目に額に十字を書く習慣があるとか
キリストは21歳から33歳までの活動記録がないことなどの状況証拠らしきものは沢山ある。
しかしそれだからといって、弥生時代に当たる頃にキリストがこの国に来ていたとは、到底考えられないことです。

でもそれが嘘か真かなんてことは、もうどうでもいいのでしょう。
墓の周囲には野の花が供えられ、それはそれでほのぼのとした光景に私の目には映りました。
キリスト教を信仰してもしなくても、死者を弔う気持ちがある人が周囲にいて、その人たちが野の花を摘んで供えてくれる。
それだけで十分ではないかと思えたのです。
墓参りに来る人が居て、花を供えてくれる人が居る。そういう人が居る限り、この場所にキリストは居るのです。
本来宗教というのは、そういうものなのではないかと考えさせられた日でありました。

参考文献:寺山修司「花嫁化鳥」

 

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